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実のところ、自己肯定感は「自分」がコントロールできるようなものではない

「自己肯定感を外注してはならない」という話を目にして、それ自体にはとくに文句はないのだが、「自己肯定感」を「外注」しないとした場合、どこからそれを調達するのかといえば、おそらく多くの人は「自分で自分を肯定するのだ」といった方向で考えるであろうから、それについてはあまり賛成できないなあと思うなどした。

「しかしニー仏だって、昨日のエントリでは『自分で自分を肯定する』的なことを書いていたではないか」と、(むしろ鋭い読者であるからこそ)お考えになった方もいるかもしれない。しかし、そうではないのである。そこは違うのである。私は昔から、「自分で自分を肯定するなんてことはできませんよ。知的で繊細な人であればあるほど、そういう欺瞞にはすぐに気づいて耐えられなくなるはずです」と明言してきた。だが、昨日のエントリを読んで、「とうとうニー仏も『自分で自分を肯定する』派に鞍替えしたのか」と解釈した方々もいるかもしれないと、「外注」の話を見かけたところで気づいたので、今日は「ちがうのだ!」ということを、余計なことかもしれないが少しばかり述べておきたい。

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