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瞑想するなら、知っておかなくてはいけないこと――「特別な境地」と「集中」について

 数日前に、「なぜ瞑想をするのか」という記事を書きまして、そこでは、「この世のことは上手くやれるが、そのこと自体に虚無感が拭えない」というタイプの方々に私が瞑想を勧める理由を、瞑想という実践が本来的に有する性質の解説とともに詳述しました。

 本エントリは、その続編に相当するもので、「それでは実際にその瞑想というやつを試してみようか」と思われた方が、実践に臨む際に注意しておいたほうがよいことや、おすすめの参考書、教師につく場合には、そのコミュニティの選び方などについて、それなりに「業界」を見てきた私の経験から、かなり突っ込んだところまでお話をする有料記事です。

 また、そうした実践上の注意点に深く関わる問題として、「なぜ瞑想をするのか」でも簡単にふれた、瞑想上の(通常の意識とは異なる)「特別な境地」に関しても、これまでの著作では踏み込むことのできなかったところまで私見を述べます。近年の日本における瞑想に関する言説には、「過度な集中」や「特別な境地を求めすぎてしまうこと」を戒めようとするあまり(もちろん、この戒め自体は必要なことですが)、瞑想における「集中」や「通常の意識とは異なる認知のモード」それ自体の意義や存在を否定するようなものが散見されるように思いますが、これについては、一定の掣肘を加えておく必要があると、私は考えているからです。

 なお、本エントリで私が述べる「瞑想」というのも、もちろん「なぜ瞑想をするのか」の冒頭に定義を限定したような、「この世のことに関して上手くいくことをその直接的な目的とはしない実践」です。

 テーラワーダのウィパッサナー(あるいは、マインドフルネス)に源流を有しつつも、それとは一定の距離を保ちながらアメリカで流行し、いま日本でも一定の広がりを見せつつある「マインドフルネス」には、「この世のことに関して上手くいく」ことを、相当程度に志向する側面があります。とはいえ、こうした種類の瞑想に関しては、現在ブームであることもあって、巷の書店や図書館に大量の解説書がありますし、またそれについて語る教師やウェブサイトもたくさん存在しますから、そのような実践のほうに関心がある方々は、そちらをご参照いただくのがよいかと思います。

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