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奪われ続けていてはいけない

 ミャンマーにはロヒンギャ問題というのがあって、ちょいちょいツイッターなどでもニュースとして話題になるから、耳にしたことがある人も多いかもしれない。

 私はわりと長いことミャンマーで暮らしていて、ビルマ語も多少はわかるものだから、日本語の報道におけるこの問題に関する語られ方と、現地の人々が素朴にこの問題について認識し、語る仕方とのあいだに(ものすごく)大きなギャップがあることを肌で感じて、たいへん強い印象を受けたことをよく覚えている。

 ただ、とくにミャンマーと直接的な関わりがあるわけでもない多くの日本の人たちにとって、この問題は基本的にはたまにニュースで見かけるだけのものであって、(たいへん残念なことではあるが)あまり深い関心の対象ではないかもしれない。

 ところで、私は東南アジアから日本に帰国して一年ほどになるのだが、つい数ヶ月ほど前のこと、あるニュースとそれに対する日本の人たちの反応の大勢を見て、このロヒンギャ問題をミャンマーから見ていた時のことを、強烈な既視感とともに思い出すことになった。このエントリでは、そのことについて少し書いてみたい。

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