「真剣」でも「深刻」にはならないこと
ツイッター論壇では十年一日のごとく、昨日も激しいジェンダー論争が交わされていて、作業の合間にそれを眺めながら、いやあ厳しいなあと腕組みをしたりなどしていた。
こういうことは頭が回る人が考え詰めれば考え詰めるほどドツボにハマりがちな問題で、他属性の人たちの立場や環境や思考様式を想像して言わば「エミュレーション」をすることができるだけの知性と想像力と誠実さを備えた人ほど、最終的には「構造問題」に行き当たって、にっちもさっちも行かなくなってしまう。しかし、ならば黙っていればそれで済むのかと言えば、少なくともマクロの社会問題に関しては、そういうわけには決していかないのだから難しい。もちろん、ミクロの個人的な処世についてならば、見えた構造を前提とした上で自身をそこに最適化することはできるから、「賢い」人であればあるほど、黙ってそうしているのだろうけれど。
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