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オンラインサロンは宗教を代替できない

 沼田牧師の上掲の連続ツイートを見て、「たしかにこういう人はいるなあ」と思うなどした。自分のことを思いきり棚に上げつつ述べるならば、ただでさえ空気が読めないのに、さらに言動が攻撃的だから、どのコミュニティに参加しても、周囲の人たちから自然と距離を置かれ、誰からもまともに相手をしてもらえなくなってしまう。まさに「石ころぼうし」をかぶせられたかのように、「姿が消えたわけではないのに、最初からそこにいなかったかのように扱われてしまう」ことになるわけだ。

 現代日本の、とくに礼儀をわきまえた「まともな人たち」は、「他人の生き方に口を出す」ということを慎み深くも回避するから、「この人のコミュニケーションの仕方はよくないな」と感じたら、多くの場合において本人には何もいわずに、「ただ距離をとる」という選択をする。そのことの結果として、「コミュニケーションに難がある」その人は、どこに行っても「静かに排除される」経験を繰り返し、そのことによってますます「こじらせ」を深めるということも、実際にしばしば生じている事態だろう。ひょっとしたら、「己自身がそうした人間である」という自覚を、ひそかに有している人もいるかもしれない。

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