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その「現実」は悲鳴のようで

 「刺激の強い言葉を使うことで、なんとなく『現実』を直視しているような雰囲気が出る」問題について少し考えてみた。上掲のツイートにあるように、その種の人たちが「より汚く極端に、そしてより露悪的に表現」する「現実」というのは、別に「リアル」でも何でもなくて、むしろそこからの距離を保つために語られているように私には見えるけれども、そうした表現が一部ではしばしば強く支持されるというのも実際のところだからである。

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