![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/45322328/rectangle_large_type_2_207714e27002ff377bbb968d9cd4926a.jpeg?width=1200)
Photo by
1st_note1
enactiveな軽薄さ
下掲のツイートに紹介されている論文を読んだのだが、これはたいへん勉強になった。2015年のものであるが、“Embodied Mind”のフランシスコ・ヴァレラが提唱した、認知に関する enactivismをめぐる文脈と、その問題点について、実に要領よく完結にまとめられている。
論文執筆中に読んだ下西風澄「生命と意識の行為論」(情報学研究89. 2015年)が、ヴァレラのエナクティブ主義界隈の哲学について非常によくまとまっていたので紹介しておきたい。https://t.co/A7XpipMFd4
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) November 16, 2018
これを読む気になったのは、もちろん “Why I am not a Buddhist”からの流れである。先日のエントリでも述べたとおり、“Embodied Mind”はけっこう前に読んでいるのだが、既に細部に関しては忘れてしまっているし、認知科学や現象学に関する書籍とも最近は残念ながらご無沙汰だから、下西さんの論文を読みながら、「そうそうこんな話だったっけ」と、そのあたりの基本的な知識についても、久しぶりに復習させていただく機会となった。
“Embodied Mind”の共著者には Evan Thompsonがいて、そのトンプソンが “Why I am not a Buddhist”の著者であることはこれまでのエントリでも紹介してきたとおりだが、いま後者の著作を読んでいて感じる違和感というか、より率直に言えば(私にとっての)「物足りなさ」の正体も、この論文を読むことで、かなりクリアになってきたように思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?