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「頭を使いすぎてゆっくりになる」ことは、もちろん悪いことではない

 先日のツイキャスでは、「全体の構造がわからないまま、細部の具体的な作業法だけをアドホックな形で教えられても、それで上手くやれることは個人的には少ない」という話をしたのだが、これはもちろん「細部の具体的な作業法」について丁寧に学び、実際に「手を動かす」ことを軽視する趣旨の主張ではない。

(※録画視聴パスは、3月1日のエントリから取得できます。)

 私がキャスで述べたことは、だいたい上掲のツイートの方がまとめてくれているとおりなのだが、これを見て「しかし細部の作業について実際に手を動かすことは大切ではないか」といった感想をもたれた方もいるようなので、「それは当然に必要ですよ」ということを、ちょっと補足しておきたくなった。このトピックについて話している時にも物理学や法学の教科書の例を出しつつ述べたことだが、私にとって「全体の構造」を理解するということは、あくまで「細部の具体的な作業」を実際に手を動かして「とにかくやってみる」ことの反復継続を通じてはじめて達成されることなのであって、「全体の理解」と「部分の実践」は、そもそも別のことだとは捉えられていないのである。

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