「暴力性」のレトリックは、いかにして「福音」となり得るのか

 近頃インターネッツで流行している(もう終息しているかもしれないが)「暴力性」の議論に関しては、だいたい私のいいたいことは下掲の過去エントリで述べ尽くしてしまっている。

 したがって、「これ以上の贅言を弄しても仕方がないだろう」という気持ちでずっといたのだが、ついつい我慢できずにツイッターではいくつかコメントをしたりもしたので、まあnoteのほうでも少しばかり補足をやっておこうというつもりに今回はなったわけだ。

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