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眼前の相手に全集中

 昨夜は告知のとおり沼田和也牧師との対談キャスを催行。恒例の仏罰による中断を挟みながらもついつい三時間ほど喋ってしまい、今回もまた、多くのことを学ばせていただいたとしみじみ思う。

(※録画視聴パスは、11月1日のエントリより取得できます。)

 対話の相手としての沼田牧師が素敵なのは、やはり何よりもこちらに対して徹底的な注意を向けてくれるというところである。キャス対談の中では、牧師が私との個人的な関係の中で通じる固有名詞や文脈の話をいきなりはじめて、私が視聴者のためにその内容の説明を挟むという事態が何度か発生したけれども、ああいうことが起こるのも、沼田牧師が視聴者という第三者の存在を忘れて、直接の話し相手である私に全集中してくれていたからだ。

 他方で私はといえば対談ホストとしての立場もあって、もちろん7割ほどの注意は沼田牧師に向けているのだけど、残りの3割はコメントをチェックしたり、現在の話の内容を俯瞰して、視聴者にとってわかりにくいものになっていないか、興味深いものになっているか、といったことを会話と同時並行的に脳内でチェックするために使っていた。これは以前にコラボ配信のコツについてまとめたエントリで書いた「観客目線」というやつで、これを保っているから適宜リスナーにとってわかりにくい表現に補足説明を加えたりすることも可能なわけである。ただ、一対一で話すことを考えた場合には、やはり沼田牧師のように全集中してもらったほうが相手としては心地よく感じるであろうし、そこから普段の牧師の人に対する仕方も推し測られるような思いがして、改めて舌を巻いてしまった。

 キャスの中でも繰り返し述べたように、私が今回の対談で主なテーマだと考えた話題は以下の2つである。

1. 「強者/マジョリティ」とは何者であるのか
2. 「強者/マジョリティ」の責任とは何であるのか

 このうち、1についてはキャスでも厚く語ったし、文章としては、たとえば以下の過去エントリに丁寧に私の考えはまとめてあるので、ここではもう繰り返さない。

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