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「私たち」や「人生」まで、屑籠の中に投げ捨てないように

 さて、いよいよ年の瀬もどん詰まり、2020年もラストスパートの時間帯である。ご家族とともに大晦日を過ごされる方々は、既にテレビの前などでくつろぎながら一家団欒を楽しんでおられるタイミングであろうから、このエントリをご覧になるのは年が明けてからのことになるかもしれない。

 私自身は、2009年末にミャンマーに渡航して以来、「日本的」な年末年始の過ごし方というものは、絶えてやらないまま済ませている。そもそもミャンマーやタイなどの東南アジア上座部仏教圏では、本来的な新年は有名な水掛け祭り(タイではソンクラーンと呼ばれるもの)がある4月なのであり、とくに私が初めて渡航した頃のミャンマーの田舎町などでは、1月1日というのは日本の6月30日から7月1日への移行と何も変わらない、「ただカレンダーがめくられるだけ」の特別感は何もない日であった。

 もちろん、タイのバンコクなどは既に当時から国際色豊かな大都市であったし、ゆえに大晦日の夜には東京と同様にカウントダウンのイベントなども開催されて、実に賑やかなものであった。そこで近年は発展のいちじるしいミャンマーでも、ヤンゴンなどではとりわけ若者たちが「お祭り騒ぎ」の口実として、最近は西洋暦の新年を祝うようになっているかもしれない。もっとも、今年は疫病禍の最中であるから、あまり羽目を外すこともできないだろうけれど。

 ただ、周囲の環境がどうあろうと、個人的に年末年始を祝いたいなら、そうすることは当然ながら可能であった。バンコクでもヤンゴンでも餅や蕎麦くらいなら簡単に入手できたのだから、「日本ふう」の年越しをすることは本人が望むなら難しいことではない。紅白歌合戦でさえ、たとえばタイならば NHKワールド・プレミアムなどを契約しておけばリアルタイムで視聴することができる。要するに、私がベタな「日本の年越し」をやらなくなったのは海外生活のせいではなくて、単にそれが個人的に面倒だったので、環境を口実に自然とやらなくなってしまったというだけのことに過ぎない。

 そんな感じで少なくともここ10年ほどは、「正月らしい正月」というやつを過ごさないまま来てしまったのだが、今回の元旦は日本に本格的に帰国してから2回めのそれであるということもあり、少しくらいは「日本ぽい」ことをやってもいいのかなと思っている。もちろん、私にはおせち料理を作るような根性はないわけだが、数の子などは友人からいただいてしまったし、鏡餅もいちおう市販のものを買ってきて冷蔵庫の上に置いてある。明日になったら、たぶん雑煮くらいは食べるだろう。

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