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しょせんこの世のことですから

 昨日のエントリでは後生や来世について説く宗教の救済力の高さについて述べたわけだが、このような救済力は、単に「次の世に期待して、今生については目を瞑って耐える」という形でのみ発揮されるわけではないと、私としては考えている。要するに、早く死後の世界に趣くことだけを希望して、現世における生をますます嫌悪するという態度が、そうした信仰の帰結になるわけでは必ずしもないということだ。むしろ私としては、「眼前のこの現状だけが全てだ」という現実教の軛から脱却して、この世を相対的なものとして観ずることが、逆説的ではあるが実は本人が「この生」をより楽しく過ごすことに、繋がることのほうが多いのではないかと思っている。

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