これまでの振り返り②

「振り返り①」では、私がパーソナルトレーナーを辞めた所まで振り返った。

今回は、その後の地方広告代理店に勤めるへと至るまでを振り返りたいと思う。

まず、ジムを退職するまでに色々と考え至ったのが

「好きな事を仕事にしたい」

という結論だ。

思えば高校生の時に進路を決めなればいけなくなり、勉強が嫌いだったし大学受験の為に勉強漬けになるのは嫌だなと思った。とりあえず進学はしようと思い、スポーツは好きだし何かバスケに携われる職業で進学先ないかなーと調べていたら「スポーツトレーナー」を知った。

“バスケに関われるし、なんかいいじゃん!この職業なら、なんか大学じゃなくて専門学校しか手段無いっぽいから受験勉強しなくていいし、スポーツトレーナーの専門学校にしよう!”

という経緯で専門学校に進学し、そこで様々な事が有りながらも無事卒業し、パーソナルトレーナーになった。

つまり、

“最初から凄くトレーナーという職業をやりたかった訳ではなく、大学受験から逃げ道を考えていたらなんか丁度良い感じの職業あるやん”

という出会いから「トレーナー」という職業を選んでいる。何なら在学中にビール好きになったからKIRINとか行きたいって思ったりもしてた。結果的にはトレーニングも好きになったしトレーナーも好きだし尊敬出来る職業になったが、最初から「好き」でトレーナーの職業にしようとしてした訳ではないのだ。

なので次は「好きな事を仕事にしたい」と思って、

“Bリーグなどプロバスケットチームの運営の仕事”

という選択で、退職まで残り2~3ヶ月位の時期から転職活動をスタートした。私はスタッフから「この次どうするのか」と沢山の質問にあった。なので私は上記にも書いたように「バスケ好きなんでそっちの運営行きたいんですよね」って話していたら、この話を聞いて同僚のスタッフが「私の旦那Bリーグのチームのスポンサー企業で働いてるよ。コネ聞いてみようか?」

と言ってくれたのだ。この時既に多くのBリーグチームの採用試験に落ちていたし、私にとっては「神の救いの手」だった。改めて私はこの時、

“夢は人に話続けると叶う”

みたいな事を講演会で聞いた事を思い出した。思ってるだけでは何にも成らなくて、人に話し伝えることで今回みたいな事に繋がるし、言葉にする事で行動に移せる様になる事を改めて感じた。そして紹介していただいたのが、現在私が師と仰いでいるH氏だ。

H氏はBリーグのチームに「斡旋することは出来る」と言ってくれた。だが、

「本当にチーム運営に関わることがやりたい事なのか?チームに入る事だけがそうなのか?もっと広く物事を見た方がいい。いざという時は私が何とかする。」

と説いてくれた。このお陰で私は一度立ち止まり色々と考えることが出来た。そしてバスケだけではなく、

“自分が感動し、素晴らしいと思った色々なサービスを広めたい”

という結論になり、1つのプロダクトだけでなく様々な商品やサービスをマーケティング出来る所に行こうと決め再度活動をし直したのだ。

そんなこんなでジムを退職したが、未だ次の職場は決まらず、焦りながらも転職活動を続けていた。家の起源もあり、友人に手伝ってもらいながら1ヶ月限定でマンスリー物件に引っ越した。「この期間で決める!」と意気込んだものの全て惨敗し、金銭的理由もあり、田舎の実家に戻って引き続き活動を続けた。

この決断が私にとって「吉」だったのか「凶」となったのかはまだ分からない・・・

実家に戻って来ても現代はインターネットのお陰で変わらず活動を続けられた。強いて言えば直接訪問する事が出来ないのが難点かと思ったが、コロナの影響もありそもそも面接はほぼ全てリモートになっていて、そんなに不便は感じなかった。最終面接の為、東京に再度足を運び面接を受けた企業もあったが敢えなく撃沈。この時既に3.4月頃。もう前職を辞めてかなり期間が経っていた。地元の友人からは「良い加減に現実見ろ」と言われ、焦りもほぼピークに達し、自分に対する自信が無くなっていっていた。「現実」とは何だろうか。才能が無いから夢なんて追っても無理だという事だろうか。選ばれた人だけがやりたい事を仕事に出来るという事だろうか。この時私は凄くネガティブになり、そして耐えきれず地元の求人も見始め、いずれ地元にに戻ってきて仕事したいと思っていたしこれを機に地元で働くのもアリかな、などと思うようになり「広告代理店」の試験を受けた。なぜ広告代理店にしたかというと、

「自分がやりたいと思っていた、“多くの人に伝える”という事は、SNS戦略も1つだけれど、広告をどのように展開するかも1つの手段ではないか。何なら代理店って事は1つの会社とだけではなく様々な企業のモノを宣伝出来るし、やってみるのはアリかも」

と思ったからだ。

でもやっぱり東京で頑張りたいという想いもあったし、内定になっても断ってやろうと思っていたが、いざ内定になると私は揺らいだ。久々に地元の友達と遊べて楽しいという「目先の感情」や、「現実見ろ」と言われた事が引っ掛かっていた。それに、

“取り敢えずここに入ってみて、状況見ながらまた東京にチャレンジすれば良いや”

という思いになってしまい踏ん切りがつかなかったのだ。要は希望通りにいかない現実から逃げ出し楽になりたかったのだ。

しかし結局このまま地元で働くことになったらH氏に申し訳ないという感情もあり、H氏に相談したらこんな感じで言われた。

「自分で決めた事ならそれで良いんじゃないか。ただ私はもっと流れに身を任せて、状況を見ても良いと思う。今という期間にしか出来ない事見えないものもある。でもその選択も良いと思う。世界の状況の変化には敏感にモノを見ていれば大丈夫。だから自分を信じなさい。私は味方だよ。」

的なアドバイスをくれた。これで決心した。

“まずはここに勤めて得られるものを得る。状況を見定めながら働いて、良かったら頑張って勤めよう”

と決めて働き始めた。