年度末なので

今日で2020-2021年度が終わるので、とりあえず振り返っておこうと思う。

ベタな出だしだが、ホント色々あった年だったかなと。

まず2020年度の4月、この時もニートでした。

「いや、今と何も変わってないやん」

と思うかもしれないが、結構違う。この時も確かに同じニートだったけれど、

「働かなきゃ・・・仕事しなきゃ・・・周りみんな働いているのにオレ何やってんだろ・・・」

という負の感情に支配されて、焦りに焦って地元の求人に手を出して、職場が決まった月だった、自分の中に最もらしい言い訳を作って。でも今の私に焦りは無い。※(全く無い訳ではない。)とにかく自分らしく生きているから幸せだ。

そして5月、世間は緊急事態宣言とかだったかな。GWが明けてから本格的に働き始めた。今でも覚えているのが初日に先輩と軽く遠めの所まで営業に同行したのだが気遣いし過ぎてめちゃくちゃ疲れたのを覚えてる。5月は仕事を覚えるのに必死だった。

6月か7月位から1人で営業をし始めた。たまたま1件営業に行った先で受注出来たのも覚えている。その後は1人で営業先を決めて1人で営業に行ってたけど全く受注出来なかった。でも8月頃から段々受注を貰える様になってきていた。もちろん全てが全て受注じゃないけれど、月に2件くらいは新規で貰える様になってたかなと。その理由としては、今までは自分が売りたいものを決めて押し売りする感じだったけど、その頃は売りたい物は決めて行ってたけど、ちゃんと売り物に適した会社にアタックしていたし、何故この広告が良いのかしっかり根拠となるデータを持って売りに歩いて行ってた。

今まで:押し売り

その後:データを用いたプレゼン

みたいな変化。この頃ちょっと営業が楽しく感じる瞬間も出来ていたかな。

9月頃には、今まで自分が営業に行ったけど断られてきた所から声を掛けられる様になってきた。つまり、あの時は断ったけれどあの時の私の営業を思い出して広告を利用してみたいと思って声をかけてくれたらしい。これが1件ではなく2〜3社位そんな感じだったから余計に嬉しくなっていた。

10月に入っても好調な感じは変わらない。営業に行って、週1位のペースで受注になっていた。でもそれと引き換えに同期入社の同僚が退職を決めていた。私が決めている一方で同期は全くと言っていいほど受注出来ていなかった。私の同期は学歴優秀で、自分よりガンガン営業先回っていたので私はよく上司に営業数を比較されて指摘を受けていた。それでも彼は受注に繋がらず、今度は彼が私と比較されて叱責されたりしていた。そんな事も相まって彼は営業を経験したくて入社したが、自分に合わないと判断して退職を決めていた。私には常に学歴コンプレックスがあった。私が転職活動をしていたここに至るまでに多くの求人を見てきたがどこも大抵「大卒」が条件に入っていた。世間的にも、稼いでいたり会社の上層部は大卒ってのが普通。しかもそれが一流大学なら転職なんて絶対余裕だろうと思っていた。それに比べて自分は専門卒だし、トレーナーの仕事だと一般的仕事のスキルや自慢できる数字は持ってない。だから私は学歴コンプレックスを持っていて、同期に絶対に負けたくないと意気込んでいた。だから初めて受注出来た時も、その後取れている時も嬉しくてしょうがなかった。でもいざ同期の退職を聞いた時は悲しくなったし、自分の事しか考えていなかった自分に腹が立ったりもした。一緒にロープレしたり、営業に出向いたりしても良かったのかなとか反省した。

そして11月には遂に同期が退職してしまった。自分も10月の末位からいよいよ考えていた。「このままでいいのか?」と考えていた。そして同時に感じていた違和感も段々と大きくなって来ていた。それは会社の考え方と私自身の考え方の違いについてだと思う。私としては「顧客ファースト」、会社としては「会社ファースト」みたいな感じだった。会社として利益追求するのは当たり前だと思う。でもこのコロナでどこも大変な中、「お得だから売ってこい」「毎年やってるので今年もお願いします」それしか言ってこない上司連中。私にとっての極め付けは社員に対する言動と行動だ。ちょっと主観的過ぎる社員には陰口を叩き、それを平気にしている風潮。自分もこんな風になりたくないし、自分がなりたい姿をもう一度思い出す機会になった。だから私は退職を決意し、もう一度東京でバリバリ成長できる所で自分を成長させたいと思い師に会いに行った。そして27になった。

12月になり退職を伝えた。この時かなり引き留めにあった。なぜなら2人採用してもう既に1人は退職してしまい残っている私まで辞めてしまったらただただお金をばら撒いたのと同じだからだ。しかも辞める事を自分の中で決めた途端また受注が決まり出したし、過去に営業した所からの問い合わせが増えていたからだ。それでも私は辞めることを決めていたし、成りたい姿があったから決断した。退職が決まってからはとにかく決まっていた所の広告を最後までやり遂げる為に働いた。しかも年末なので広告は繁忙期で必死で売り歩いた。でも最終日に色々あってジャージで最後の挨拶をする事になってしまった事は、自分らしいけど反省点だ。

1月になり新年を迎えたら緊急事態宣言が発令された。ちなみに師に相談して辞めると決めてから転職活動をしていたが、やっぱりどこもダメだったのでこの時またニートが始まった。だがそんな事は既に師に相談していて、仕事を紹介してもらう予定になっていたのだが緊急事態宣言が発令されて事態は変わった。きっと今東京に行っても仕事は無いし、行くのは倫理的に良くないと思って地元で出来る事をやろうと決めた。まずは簿記を勉強した。そもそも2月に受験しようと思って参考書を読んでいたので本格的に勉強を再開した。

んで2月になって受験して見事1回で合格した。簿記を取るきっかけは会社のお金の流れとかを理解できる様に成るために勉強を始めたが結局最後は合格する為の勉強になってしまっていたので、合格してからはこの本を読んで使える簿記にしようと勉強しなおした。分かりやすくてオススメだ。

そんな感じで簿記は取り終えて、緊急事態宣言も前倒し解除説が出てきたりもしながら次の勉強を始めた。それがマーケティングの勉強だ。自分がやりたい事を出来るのはマーケティングだと思っていたし、その仕事に就きたいと思っていたのでGoogleの無料資格を取るために勉強を始め、それも2月中に取得した。2月も月末になり解除されるかと思えば延長が決まった。そしていよいよ私も焦りが出てきた。「師はもう少し待ってねと言ってたけど・・・」みたいな感情もあり、「人任せで本当にいいのか・・・」「でもこの前は自分で早まって失敗したし・・・」とか様々な感情がグルグル回って焦りが出始めた。でも結局師に相談した事で自分のやるべき事をやろうと思えるようになった。それが自己理解だ。

3月になって自己理解を続けた。そのお陰で自分のミッション“心揺さぶられる感動体験を多くの人に届ける”に気づけたし、俯瞰して物事を捉える様になった。そして緊急事態宣言も明けて、Beingに対してのDoingとなる自分がやりたいと思える仕事と出会った。まだ何も進んで無いけれど、3月は動いた月だったのかもしれない。

この年度は「始まって、終わって、知った」1年間だった。でもこれから何十年と働くとしたら、自分を知るきっかけになった良い1年だったと思う。明日からは新年度となり、新卒の人たちは新社会人として働き始める。そんな中私は明日もニートだが恥じる事は辞めた。自分には自分らしい生き方があり、他人の基準で生きる事を辞めたからだ。

“良い大学に入れば幸せになれる。”

“一流企業に入れば幸せになれる。”

“結婚すれば幸せになれる。”

こんなの誰かがそうだっただけで他人が作った、他人の物差しだ。別に私は今ニートでも、良い大学出てなくても結婚してなくても、友達と遊んだり家族と会話したり自分を知る時間を取れて幸せだ。だから他人の作った世界で生きるのは辞めたし、そうなる人がもっと増えて欲しい。そんな人を増やせる様に明日からも自分にできる事を粛々と続けようと思う。

来年度は多くの人に幸せのきっかけを提供出来る様に頑張ります。