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今年の抱負


新年なので、自分のことを振り返ってみる。
ちらりと「3年前から振り返るのがよい」と見たので、3年前から。

3年前といえばアメリカに来た頃だから、それからの3年間と、4年前からの急激な変異を比べればそれほど変わっていないような気がする。
変わったことといえば、大学に入ったことと、専攻を変えたこと、田舎に引き篭りたいと感じるようになったことくらいだろうか。

私が科学を志すようになったのは、明確には中学の頃だったと記憶している。
現象の複雑性に惹かれ、複雑性を抽象化して合理を見つけ出すことに興奮した。
転々と興味のある分野は変わったが、複雑性の理を外したものはなかったように思う。

複雑性に相対することを好むのは、この世界には自分が掌握出来ないものがあるのだと実感したい一種の生存欲求だったのかもしれない。
掌握出来ないものがあるという事実が、どこかで自分の生を肯定してくれるような気がしていた。

その一方で、私にとって科学とは答えの見えない問いを答える為に使う非常に有用なツールでもあった。
私達はどうして生きているのか。この宇宙は何故存在しているのか。社会とは、他人とは何か。そのような問いを主観性を最大限まで削ぎ落として考査できるのが科学だった。
複雑性を単純化することに空虚を感じることもあったが、その空虚を無視して今までひた走ってきた。

それが限界に達したのが三年前だ。

環境要因に唆され空虚が爆発し、高校に行けなくなり、爆発を何とか宥めてアメリカに来た。
アナーキズムは非人間的な社会システムの否定にあるらしいが、私を侵したそれは、恐らく複雑性を無視した単純化主義への拒否感でもあったのだろう。
病は未だ私を侵している。

複雑性が好きだ。
それはもう信仰と言ってもいい。

複雑性が内包する柔らかさが好きだ。
人の心が持つ温かな寛容のようだと思うから。

この一年は己の中の矛盾に直面した一年だったと思う。
人の中の、人が認識する柔らかいところを大切にしたい。それらを無視してまで現象の意味や合理を求める必要などあるのだろうか。
田舎に引き篭りたい。
柔らかいところだけを貪って生きていきたい。

だから私は文学に惹かれた。

決着は未だついていない。
どちらが正解なのか分からないし、どちらが正解でもないのかもしれない。
科学者の中には文学活動を行なっている先達もいるのだから、それで何とかなるのかもしれない。

人間性を大切にしたいという心の叫びは、世界と自己への求愛にも思えるが、現象を解明したいと望むその心だって、それは矢張り求愛なのだろう。

取り留めのない文章になってしまったけれど、今年の抱負は「一日に一つくらいは詩や歌を詠む」です。
人間性と複雑性を諦めることは出来ないような気がするので。

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