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2017年11月の記事一覧
そう、YouTuberみたいなね
かつて日本が江戸時代の頃、庶民に対するエンターテイメントが発達した。
外からの力を極限まで規制し、日本史上最も平和だったと言わしめる時代。
庶民の識字率は高く、多くの本や版画が出回り、歌舞伎や人形劇が人気を博した。
平和はエンターテイメントを発展させる。
争いがないということは日々の恐れが少ないということだ。
それに加えて、完璧に統制された階級制度、国民の大半が農民であるための食料自給率。
は
日本って観光に向いてるよね
今ポートランドに来ている。
今日から3泊4家族の家に泊まる。
昨日まですっかりそのことを忘れていて、夜に思い立つも眠さに負けて爆睡。
朝6時に起こされてそこから1時間ほどで荷物の用意をして家を出た。朝からバタバタしていた。
途中でスタバに乗ってからハイウェイを走って約3時間ほど。
約3時間って日本で言うと名古屋から東京くらいの道のりな気がするが、こちらで言うと結構近場に感じる。
基本的
飲み物を介して人が集う場所
カフェって究極的に言えば『飲み物を介して人が集う場所』だと思うのだ。
私は以前から『アルコールを介さなくても人がつながれる場所』を作りたいと思っている。
スターバックスは『コーヒーを介して人と繋がる場』。
だったら『お茶を介して人が繋がる場』がなぜできないのか?
スターバックスは行くだけで、人と喋っていなくても自分の社会的繋がりを感じられるという調査結果が出ている。
人は人と繋がっていること
新しいコミュニティと全人類クリエイター化計画とエトセトラ
実はあまり言っていなかったのだが、今アプリを開発している。
やりたいことをモリモリと盛り込んでみたら、一緒にやっている人から『これはかなり大きなしシステムになる笑』と言われた。
初めて作るから、どれだけの大きさが大きいのか見当がつかないが、多分かなり大きいんだと思う。
こんなに大きくなった理由は簡単だ。
私が考える『新しいコミュニティの形』と『言葉にお金を乗せるコミュニケーションづくり
のび太くんになろう!
今回は、あの国民的コミック『ドラえもん』の話をしようと思う。
ドラえもんの中の主人公のび太くんは、勉強ができない落ちこぼれとして描かれている。
何をするにもうまくいかず、ドジで運動神経もない。テストではいつも0点。
ドラえもんを見ながら、そんなのび太くんを笑ったことがある人は多いんじゃないかと思う。
だけれど、のび太くんはすごい。
彼は好きなことを突き詰めて他の人には出来な
『死』をテーマにしたR・RPG
R・RPGはリアルと言う名の通り、現実にものすごく近づけなくてはいけない。
どう言う意味かと言うと、『あり得る(受け入れられる)範囲での仮想でないと、ユーザーがゲームに入り込めないのだ』。
ゲーム機でやるゲームでは、現実世界よりも感覚の情報量が少ないため、自分の思い込みだけで何とかなる。または、自分が動かしているゲームの登場人物と自分は全く別物だという意識がある。
それで成立するのだ。
これでFFもディズニーも超える
3ヶ月見てたFF15実況を見終わって思った。
やっぱりFFも超えていかなきゃいけない。
やはり15のオープンワールドとグラフィックはすごい。
ただあのストーリーは、私が今やってるR・RPG事業には向かない。
何故なら主人公が一人だからだ。
何人もプレイヤーがいるR・RPGには、一人主人公の物語は合っていない。
劇団とかと共同で一人のためのゲームを作っても面白いし、VRを上手
エンターテインメントで世界が救えるか
考えてみれば、世界の争いごとという争いごとは全て、現状に対する不満でできている。
その不満が行く方向を間違えて戦争が起き、虐殺が起き、ISISや北朝鮮のような集団ができる。
その不満を打ち消すものが”しあわせ”であって、最も代表的な幸せは”楽しさ”である。
エンターテインメントは楽しさを生み出すものだ。だから世界を救える。
家でご飯を食べながらTVに流れたカジノのCMを見て思った
スナックをシステム化して経済圏をつくれ
知っている人は知っているかもしれないが、実は今、『R・RPGシェアハウス』という企画を進めている。
岐阜県高山市付近の空いている古民家を買い取って、そこにシェアハウスを作ろうという企画だ。
そして、"R・RPG"シェアハウスと呼ぶからには他のシェアハウスと違う点がある。
住民が自分たちで自分がシェアハウス内にいる時のキャラクターの設定を決めて、それで生活をするというところだ。
こ
新しいことをスタートします
勉強をする意味といえば、好奇心を満たすことだった。
自分が何者なのか、どうやってこの世界に存在しているのか、この世界はどうして出現し、今もなお活動しているのか。
そのことが知りたくて、私は宇宙学を学び生物進化を辿った。
そうして好奇心を追うことが人を助けることにつながるのだと気がついたのは、いつのことだっただろうか。
2011年、東日本大地震の年の私の自由研究は自然エネルギーだっ