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漫画家のシン・エヴァ考察。(ネタバレ注意)

漫画家の根田啓史です。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観ました。

↑エヴァみた

Twitter上では観たことを報告することすらはばかられる、日本の神話となっているので、こちらのnoteに思う存分シン・エヴァの考察をぶつけたいと思っています(現在では規制緩和されております)。



長かったなぁ。。。

僕がエヴァと出会った頃は(地方在住なのもあるけど)今ほどヲタに人権が無くて、エヴァにハマってることがバレたら、ヲタのレッテルを貼られ一気にスクールカーストが二段階くらい下がってしまう恐怖感がありました。

そうそう、当時「漫画描いてる」なんて口が裂けても言えなかったですし…そんな自分の青春時代まで思い起こさせる、エヴァは自分にとって人生そのものなので、感慨深いものがあります。

ていうか、20年以上経ってエヴァ信者には別の理由で、こうやって暗黙のかん口令が敷かれているの、面白い現象ですね。。。

以下ネタバレ沢山含みますので、それが困る方は読まないでください。

割とまじめにシン・エヴァでシンジくんが出した答えや、

結局、エヴァンゲリオンという作品は一体何を伝えたかったのか、について考えを述べたいと思います。



※以下、あくまで僕の解釈ですが、言い切ってる部分もあります。そういう立場でエヴァを楽しんでいる人もいると考えて読んでください。


エヴァは日本現代史

エヴァのタイトルよく見るとインクの染みが…「新世紀 エヴァンゲリオン」

「新世紀」と書かれています。

これは日本という国の終末と創生の物語だと思っています。

碇シンジという「日本人」が、新しい時代を築くために答えを探し苦悩する25年間。
政治界隈では「失われた20年」(今は失われた30年とも…げんなり)とか言われていますが、まさにこの「失われた20年」の話。

今回エヴァを終わらせたことは、日本はようやくスパイラルから抜け出して、次のステージへ向かうという、庵野監督のメッセージだと受け取りました。

まずは大筋の世界観から。。。

セカンドインパクトはバブル崩壊を指していると考えています。

そして、エヴァに乗ることは、新しい時代へと向かう戦いの軌跡です。

因みにファーストインパクトは第二次世界大戦のメタファー。

そういう考察他にも誰かがしてるかもしれませんが。。。誰かとまるかぶり情報だったらすみません。

今、「セカンドインパクト バブル崩壊」でググってみましたが、

いた…

(ニア)サードインパクトはリーマンショック、そして東日本大震災

アベノミクス失敗で起きかけていたフォースインパクト

そしてファイナルインパクト・コロナショック

「はぁ…」って感じですよねすみません。

シンジくんをはじめとした、各キャラの視点から紐解いていきます。


碇シンジとは?

碇シンジくんは、ポストバブル世代のメタファーだと考えています。
僕もまさにそうですので、シンジくんの気持ち、とてもよく分かります。

ポストバブル世代は、バブル崩壊後の喪失感の中で青春を迎えます。

気付いたら大人たちが危機をわめいていて、解決策も見いだせない状況のまま、その大人たちから無理くりバトンを渡されます。

まさに「エヴァに乗れ」と強要されるわけです。

なぜ戦わなければならないのか、どうすれば脅威に打ち勝てるのかも分からず、ただ大人たちが開発した迎撃案(エヴァ)を使って漠然と戦場に出ます。「お前が逃げたらこの世界は終わりだ」という辛い制約だけが与えられて…。

その中でもがき続けるのマジでキツイですよね。。。

シンジくんの欠点は、自分の意志を持たないところです。
まぁ選択権を与えられずに育っているので仕方ないのですが、状況の原因を自分で考えたり、自分のアイディアで解決しようとするのが苦手。

かといって嫌なことから逃げることをするわけでもなく、
自分なりに精一杯向き合おうとはするのですが、やっぱりやらされ仕事をしているので、結果を怒られると自分の殻に閉じこもってしまいます。

大人って勝手だよね。勝手に押し付けてきて、結果が悪いと怒るんだもん。そりゃ引きこもりたくもなるわ。


綾波レイとは?

綾波レイもポストバブル世代で、日本人女性のメタファーだと思っています。

巷では女性の社会進出が叫ばれていますよね。あれです。。。

まさに、シンジくんがエヴァに乗らなくてもいいようにするため、レイは身を呈して頑張ってくれたんです。

やるせないのは、高度経済成長を支えた家父長制の化身・碇ゲンドウの「家内」であるユイのクローンてところです。。。

「女性はこうあるべき」という強烈な同調圧力を受けつつも、日本を支える任務を淡々とこなす綾波レイ。バブル崩壊以降の日本を支えたのは綾波のか細い腕です。

綾波は現場に出て、たびたび自我に芽生えます。

「女は半歩下がって家長を支える」という前時代的インプットから少しずつ解き放たれ、「自分で考える」ことをするようになるわけです。

こんなときどうすればいいの?私は何がしたいの?私の名前は………?


しかし悲しいことに、自我を持とうが持つまいが、ゲンドウにとってはこの国を支える量産個体でしかありません。

綾波がどんな答えを出そうとも、無関係に出撃させられ、無碍に消費されてしまいます。

綾波に未来はあるのか…


惣流(式波)・アスカ・ラングレーとは?

アスカもポストバブル世代が出した解答の一つで、評価経済主義者たちだと考えています。

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評価経済については、岡田斗司夫先生の神書籍(↑)で分かりやすく書かれていますが、

簡単に言うと、お金ではなく評価を信用母体として生きる人たちです。

目的が持てないシンジくんと違って、アスカはエヴァに乗ると皆に褒めてもらえるから乗っています。

アスカは自分をよく見せるために必死ですし、どんなに活躍しても、虚構の自分と本当の自分の間で揺れ動き、常にそれが崩壊する恐怖と隣り合わせで生きています。

余談ですが、今エヴァヒロインで一番人気があるのはアスカです。

時代を象徴していて面白いなと思うのですが、TVシリーズ公開当初は圧倒的綾波でした。
時が経って、前時代的女性像のクローンである綾波よりも、他人の評価とエゴの中でジレンマを抱えているアスカの方が共感される世の中になったのかもしれません。

たぶんアスカ人気の内訳は女性票も多いはずだと考えています。


渚カヲルとは?

カヲルくんは日本の政権のメタファーだと思っています。
「は?」と思いましたか?

カヲルくんはゼーレ(世界政府)の少年と呼ばれていて、日本政権の挙動とよく似ているなと感じます。

カヲルくんは円環の理の中で何度もよみがえってシンジくんに会いに来ます。

僕たちにとっては味方であり、そして同時に裏切り者でもあります。

カヲルくんはたびたび甘い言葉を使ってシンジくんをその気にさせますが、結局はシンジくんを幸せにはしてくれません。

そして、TVシリーズでは最後にはシンジくんの手によって、カヲルくんは殺されてしまいます。政権交代。。。


TVシリーズが出した答え


当時物議をかもしまくったTVシリーズの結論ですが、

「真実は人の数だけ存在する、でも、君の真実はひとつだ」

自分の思うように、世界を見た時、世界は存在する。


僕は僕が嫌いだ…

でも好きになれるかもしれない

僕はここにいてもいいのかもしれない

そうだ、僕は僕でしかない

僕は僕だ、僕でいたい!

僕はここにいたい、僕はここにいてもいいんだ!!


『おめでとう』

全ての子供たちに、おめでとう(ワラ

「この国に未来はない。自分の殻にこもるか、あるいは悟るか、それしかお前たちに道はない。」

………そう言われた気がしました。
そのめちゃくちゃに痛烈な庵野監督の皮肉に、当時僕は鈍器で頭を殴られたようなショックを受けました。。。
そうなのか?これでいいのか?


この問いは今なお自分の頭の中にぐるぐる回り続けています。


新劇場版、「序」で伝えたかった事

新劇場版、4部作ですよね…。

序・破・急

で雅楽的に考えると3部作のはずですが。。。

そう、僕はこれ当初の構想では3部作にする予定だったのだと思っています。

なんで庵野監督が新劇場版を作ろうとしたのか、それはIT革命があったからだと思っています。

「日本はまだ死んでいない!!」

当時、庵野監督はそう思ったのだと勝手に推察しています。

1999年、アンゴルモアの予言通り世界は滅亡する、なんて言われていました。

エヴァはそれに打ち勝つ希望を生み出すための、庵野監督なりの挑戦だったと考えているわけですが、

リリースしてみたら、答えを出せないシンジくんに共感し、綾波にデュフデュフ言っている日本人たちを見て、庵野監督はより深い失望を味わったのか、「出家しちまえ」という答えを吐き捨てて去っていきました。

ところがそれから10年経って、それでも世界は続いていて、人類はそんなにやわじゃなかった。

新世紀を迎えて、ヲタの慰みものでしかなかったインターネットに、新しい産業が芽吹いていました。

2000年代初頭から、IT革命によって一気に新産業が勃興し、この日本という国にもまだ目指すべきステージがあるのかもしれない、って感じが巻き起こりました。

たぶんソフトバンクの孫さんとかがその牽引者の一人だと思うのですが、当時日本も、世界に引けを取らず戦うビジョンが見えていました。

となると、TVシリーズで打ち出した「出家しろ」というメッセージは訂正する必要があるかもしれません。

時代に対する、、、日本に対する、庵野監督の新しい問いかけが始まったのです。


「破」で初めて自分の欲求で戦ったシンジくん

「破」は傑作ですよね。。。

思い浮かべるだけでも涙が出てきます。

「行きなさいシンジくん!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!!!」

バブル崩壊を生きた大人、ミサトさんがそう言ってくれました。
これもとても大きな意味があります。

バブル世代の人たちって、産業創造の経験がないので、産業崩壊に対して自分たちがどうすればいいか答えを持っていません。

ただ、さらなる崩壊は止めねばならないという使命感だけがあって、それをシンジくんたちにも押し付けていました。

でも、子供たちに戦いを強いてばかりいる現状には罪悪感があり、子供たちが自分の意志を見せた時、その答えを尊重したいという気持ちが生まれたんだと思います。

そして、シンジくんも初めて自分の願いを決めました。

「綾波を助ける!!」

家族を守ることが現代日本人のモチベーションです。
鬼滅の刃が社会現象になったのもそれを象徴していますよね。

世界なんか救えっこない、でもせめて、自分の愛する人だけは守って見せる。

その意志とともに、新しい時代の答えに向かって一歩を踏み出しました…。


真希波・マリ・イラストリアスとは?

ここでとても重要なのが、マリの登場です。

マリはポストバブル世代の中で一番大切な役割を果たす、イノベーターのメタファーだと思っています。

90年代後半には存在しなかった、IT革命で産業創造を体験したニュータイプの日本人。

登場シーンで、

「しっあわっせはぁ~あるいてこない、だ~からあるいていくんだねぇ~♪」

と歌っていて、当時「監督ゥ!!(涙)」と思いました。

加地の「折り込み済みとはいえ、大人の都合に子供を巻き込むのは気が引けるなぁ」

というセリフに呼応するように、

「まあ、生きてりゃいいや。自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするなぁ」

と言っているのは、本当に象徴的です。

マリは別に世界の行く末を全て見通せているわけではないのですが、明確に自分たちで創っていく新しい国のビジョンを持っていて、そのために今この国に残された先人たちのレガシーを利用しています。

全然悲観的ではなく、常に挑戦的で面白いことが好きです。

旧体制の象徴であるゲンドウのことを、ゲンドウ君とちょっと揶揄して呼んだり、
シンジくんをネルフのワンコくんと言ったり、
自分の目指す世界に必要なアスカのことが好きで、姫と呼んだりしているのは、まさに今日本で活躍しているイノーベータ―たちのスタンスをよく表しているなと感じます。


因みに、深読みしすぎかもですが、真希波の中にある「マキナ」は、エクス・マキナ(夢落ち)である可能性もあります。

キャラの名前に戦艦名が良く使われているみたいですが(戦艦はよく知らない)、たぶんそういう伏線も込めているんじゃないかなとちょっと思っています。

マリは「新世紀」を語る上で、クローザーであるのは間違いないと思うのですが、

彼女がもたらすものがイノベーションなのか、はたまたただの夢落ちなのか、これも庵野監督からの問いかけだと僕は受け取っています。。。


「Q」でシンジくんが何も知らない理由

これは衝撃でしたね。

僕の想像に過ぎませんが、庵野監督にとっても衝撃だったんだと思います。
リーマンショックが起きたのは2008年、東日本大震災が起きたのは2011年。「破」の公開は2009年です。

立て続けに日本は脅威にさらされました。

当初、庵野監督はこの「急」で終わりで、新しいステージに向かう予定だったはずです。でも、世の中は一変してしまいました。

だから「Q」、クエスチョンなのかもしれません。急で世界が始まる予定だったのに、分からなくなってしまった…どうなるの????

やっぱ元の木阿弥なの? そういう問いかけの映画だと思っています。

ポイントなのはこの二つの脅威、リーマンショックも東日本大震災も僕たち(シンジくん)には直接は関係ないってことです。

日本の一般家庭でリーマンショックで直接ダメージ負った人って案外少ないんじゃないでしょうか。

世界のリーダーであり先進国である、アメリカの大銀行や証券会社がいきなり潰れた事件です。

投資するだけの資産をもってた個人や企業がいきなりどん底に叩き落されたのですが、投資する余裕もない日々を暮らす庶民にとっては、対岸の火事だったんじゃないでしょうか。

そして東日本大震災も、災害としては宮城・福島を中心に起きた災害であって、日本全体からしたら、直接の目の当たりにした脅威というわけではありません。

でも、この二つは確実にこの国に大きな傷を与えました。

投資家、企業が弱体化し、
そして震災による原発事故によって、(おそらく)100年規模でデザインされていたエネルギー政策関係の産業計画の柱が砕け散り、
震災と原発事故の映像を見続けた人々は傷つきました。

せっかく次のステージに行く希望が見いだせた矢先に、この国は突如ボコボコにやられて、イノベーションどころではなく、態勢立て直しが急務になってしまったわけです。

それが「Q」の冒頭だと思っています。

だからシンジくんは状況がよく分かっていません。
ただ、初めて自分の意志で戦ったことが自信になり、戦いたいと思っていますし、今の自分なら皆の役に立てると思っています。

ところが、知らないうちに最悪な状況になっていて、主導権はミサトさんに移り、そしてシンジくんは出撃することを禁止されています。

一方、初めに日本を新世紀に導くために指揮を執っていた碇ゲンドウと冬月コウゾウは、彼らの信念に従って独自に人類補完計画の遂行に向かって暴走を始めています。


「Q」でシンジくんに状況を説明して味方をしてくれるのは、唯一カヲルくんだけ。

カヲルくんは…?そう安倍政権です(めちゃくちゃ異論あるかもしれませんがwww)。

アベノミクスは庶民にとって、とても分かりやすいスローガンでした。

三本の矢、

一本目でリーマンショックで大打撃を受けた金融界に栄養剤をぶち込みつつ、二本目でそれを民間にまで染みわたらせ、そこから三本目、新しくこの国を立て直す産業へとつなげていく、そういうビジョンでした。


なんだかよく分からないまま、自分を蚊帳の外に置くミサトさんたちと、

片や分かりやすい言葉と親身なそぶりで手ほどきをしてくれるカヲルくん。

どっちを信じますか?
さらにはDSSチョーカー(自爆装置)を引き受けてくれたカヲルくんに、シンジくんはメロメロになってエヴァ13号機に乗り込みます。


ところが、シンジくんを待ち受けていたのは、、、そうフォースインパクト。

アベノミクスは結果的には失敗だったという見方が多いです。
目標だった物価上昇は達成できていません。GDPも結局むしろ下がっていたことが分かりました。

↑これ、コロナ前ですよ。その後のコロナ禍でうやむやになりましたが、アベノミクスで日本は全く立ち直れていません。

孤立無援の中、頼みの綱だったカヲルくんは死に、結局フォースインパクトも起きてしまいます。

マリ(イノベーター)が駆けつけてくれたことによって、なんとかフォースインパクトの進行は食い止められたものの、もう世界は立ち直れないところまで崩壊してしまったように見えます。

そんな崩壊したこの国を、アスカ・綾波と共に歩き出すシーンで「:||」へと続きます。


「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が出した答え


ここまで読んでる人いますか…??ようやくシン・エヴァです。

長い長いバブル以降の日本の鬱屈とした状況に、「:||」でようやく終止符が打たれました。

この終止符が:「||」(終了)なのか、「:||」(リピート)なのかでまた意味合いが変わってくるのが、むむむって感じではあるのですが、
そこがまた、庵野監督の僕たちに対する問いかけだと思っています。

「今度こそお前ら、前に進む…んだ…よな??」という。

僕は少なくとも新劇場版はTVシリーズとは違った、新しい答えを受け取りました。

エヴァを降り、ネクタイを締めたシンジくん、その手を引くマリ

というラストシーン。

それが次の時代の日本の在り方だと思っています。

シンジくんは戦うことをやめて、働くことにしました。


新しい時代は、イノベーターであるマリが作ります。シンジくんはそれをサポートするための手足となります。

それがシンジくんが選んだ新しい時代でのポジションで、マリがシンジくんを「ワンコくん」と呼ぶ理由でもあると思っています。

大切なのは、シンジくんは自らの意志でそれを選んだことです。

作中で、アスカがシンジくんに、私がなんでシンジを殴ろうとしたか分かる?と問いました。
それに対してシンジくんは「僕が自分で決めなかったから」と答えました。

アスカはそれに対して、ちっとは成長したじゃないとたしなめます。

シンジくんはずっと、新しい時代をその手で創るよう強要され、そのためのアイディアがないことに劣等感をもって生きたけど、
でも、幾度とない危機と対峙し、そして父親を乗り越えて、自ら道を決め、そのポジションに誇りを持つことができるまでに成長したんです。

正直、僕はエヴァをずっとシンジくんに感情移入しながら観てきたので、最終的にネクタイをつけてマリについていく姿を見た時、ちょっとモヤッとはしたのですが、まぁでも、一方でなるほどなぁとも思いました(一人ぼっちの考察で何を言ってるんだって話ですが…w)。

一瞬ちょっと話それますが、ラストシーンで興味深いのは、カヲルくんも円環の理から外れて、人になるのもいいねと思っているところです。
おそらく日本の政権は民間に還っていくだろうという予測でしょうか。自分も結構そう思ってますけど…。

最後、カヲルくんが綾波と一緒にいるのも、政権として女性の社会進出をサポートしていくという暗喩だと僕は感じました(それは被せすぎかも…?)。


さて、とにもかくにも、

ファイナルインパクト(コロナ禍)の中で、シンジくんにとっての宿敵・碇ゲンドウは死にました。
それは日本にとってもとてもタイムリーな出来事だと感じます。

日本で今一番パワーを持っている、団塊の世代の象徴であるゲンドウが、その上の世代の冬月と共に死んだのです。

ゲンドウの目的は、喜びも悲しみもない完全な世界です。
それを神主導ではなく自らの意志で生み出すことに人類の人類たる意味があると考えていました。

日本人が全員、自らの徳によって解脱するべきだと言っているんです。
それって、TVシリーズで僕が庵野監督から受け取ったメッセージと一緒でもあります。

そして、それを拒むミサトに「お前は世界が見渡せていない」、リツコには「お前は幸福が見えていない」と二人のビジョンへの欠陥を指摘します。

でも、そこに現れたシンジと戦う中で、ゲンドウは完全だと思っていた自分のビジョンも、自分の孤独を埋めるためのエゴに過ぎなかったと悟ります。

シンジの中にユイを見出し、初めてちゃんとシンジを見ます。大人になったなシンジ…と声をかけたシーン、僕は父子ものにめちゃくちゃ弱いので泣いてしまいました…。

ゲンドウはユイと共に残したシンジに未来を託し、迷いながら波のように繰り返していく不完全な今が尊いのだと、考え直すわけです(たぶんね)。

ゲンドウはユイと共に自ら命を絶ち、シンジくんの選択に世界を委ねます。

僕はこれが、ゲンドウの命と一緒に、TVシリーズで失望した当時の自分を打ち消した庵野監督からの、エヴァンゲリオンという作品が持っている新たなメッセージだと思っています。

最後シン・エヴァはエンドロールに向かって実写のシーンに切り替わっていくわけですが、
まさに、「見ろ、おめーらは、この国をこれからどうするのか?」と問われている感覚になりました。


余談ですが、皆がエヴァを捨てたのは、人類補完計画が一旦完全に否定されたからだと思っています。

人類補完計画というのは、ゼーレ視点ではグローバリゼーション(地球を一つの国と考えたポスト社会主義)であり、ゲンドウ視点では自らの意志による魂の救済です。

米中摩擦とコロナ禍によって、現在世界は分断傾向にあります。
それがどこまで進むかはわかりません。

ただ、日本は分断化に対してはめっぽう強い国なので、いずれにしても今は、エヴァに乗って外敵とガチバトルする状況は一旦休止ってわけです。

日本を支配していた旧時代体制も瓦解しつつあります。
つまり、今は国内の問題を整理するチャンスともとらえられます。

日本の景色は90年代とほとんど変わっていません。

シンジくんも、結局は労働者階級である自分を受け入れてしまいました。


でも、何かが変わり始めている、そんな余韻を感じさせるラストです。

TVシリーズで僕が味わった絶望とは全然違う、希望のあるメッセージです。


こうして、僕の中のエヴァンゲリオンは幕を閉じました。

この希望を、さらなる地獄で上塗りしないように、今日も生きていこうって思いませんでしたか?

妄想しすぎ?そうですか…

僕は庵野監督が大好きです。

そしてここまで読んでくださった方々、長々と妄言すいませんでした!!!!!!!!!!!!!!


それでは。

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