きっとやらない言い訳を探している

先日、就労支援団体に通い始めて2回目のグループワークがあった。
このグループワークとは、週に一回コミュニケーションの基礎的な部分などを、少数の希望者と一緒に学んでゆくという継続的なイベントである。

今回は、自分自身が欠点だと感じている部分の見方を変え長所と捉えるというワークを行った。
欠点と思うことが何個か書かれた紙から自分が該当していることを数個選び出し、グループワークに参加する人同士で、欠点を他人に長所と変えるよう考えてもらうということをした。
最初はなにか抵抗感があったが実際ワークを行ってみると、確かに他人の悩みというのは、こういう風に(良い)捉え方もできるのでは?と感じることができた。

しかしそんな中自分の悩みとなるとこの手のワークがあまり得意ではない。回数は重ねるとして初対面の人と一緒に何かをするということが得意ではないということと、自分の短所が多いことに決定的な自信を持っている。それは日常生活から就職、このブログにも生活のあらゆる場面で自分を悩ませている。いわば欠点の生命体が私であり、私の存在が欠点であると自負できる。

自分が長所といえる部分を持っていないからだろうが、そんなワークで作られた長所は急場しのぎの代用の長所でしかないと思っている。このようなことをネット上でしか伝えられない陰湿な部分、人並みのコミュニケーションもできないなど、自分で良いなと思える部分がない人間はとても弱い。

けれど他の参加者の活動を見ると、不器用そうな人も真剣に取り組んでいるし何かを変えようとしている。自分は「今までの自分のルール上にない」というだけで、変えようともせずただ何となくワークを受けている。
このような部分を見ると、自分を、少なくとも生きる上でなんとかやってゆくぐらいのスキルを手にする、という苦手を克服しないでいるままのクズなのである。

締めのオチをつけようとしたがいつもより文章がでて来なかったので、今日はこれで終わりです。最近は、ブログを書こうという部分にハードルが上がっている気もしているのと、久しぶりにやっているゲームをやっている時間が多く、ダメ人間のステージを徐々に上がってるような気がしているが、今週は適宜更新を行いたいと思っている。

サポートしてもニートが就職活動に使う交通費になるだけですのでやめておきましょう