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人生を2人分の話

先日誕生日を迎えた。
この日は祝ってもらう以外に必ずやらなくてはいけないことがある。
それは【お墓参り】である。
毎年この日に母方の実家のお墓参りに行く。
10歳くらいの年からずっとお祝いと墓参りはセットの行事だった。


私は10歳までひとりっ子だった。
10歳の時に母方の祖父から「実は双子だった」と聞かされ、その日から私はひとりっ子ではなく一卵性の姉妹がいた身の上になった。
ただ、彼女は私より先に取り出され、生まれてすぐに亡くなってしまったということだった。

祖父の話を聞いて私は驚くより先になんとなく嬉しかったことを今も覚えている。母方・父方のいとこたちの中でひとりっ子なのは私だけだった。寂しいとは感じたことはなかったはずだが、片割れの話を聞いて「自分にも姉妹がいたんだ」と胸が熱くなったということは、きっと本当は寂しかったのだろうと思う。

とはいえこの話を祖父から聞くまでの10年間、私は自分がひとりっ子だと信じて疑わなかったし、何より母もそうだった。
出産目前で父から風邪をもらい、高熱と尿毒症で倒れ、緊急手術で帝王切開出産。とても大変だったのだとよく聞かされていた。
どうやらそれは本当のことらしい。
ただ、その後の聞き取りで色々な情報が母に伝えられていなかったということが判明してしまったのだ。

まず、母も父も周りも出産のこの時まで子供は1人だと信じて疑わなかった。今考えても「いや、そんなわけある?」と思わずにはいられないのだが、その当時母が通っていた産婦人科に子供は1人だと診断されていたらしいのだ。
今なら疑問を抱けばセカンドオピニオンなどもあるだろうが、当時たくさんの子供を取り上げてきたベテランの医師の言葉を疑うわけもなく、母は双子を十月十日近くお腹に持っていた。通常双子は大きくなる前に早めに取り出すわけで、それを臨月まで抱え、羊水があることを考えれば相当負担があったろうと思う。
その結果、膀胱が潰されてて尿毒症を引き起こす原因にもなったんだろう。

産婦人科の医師も、お腹を開いたら双子だったと知って大慌てだったらしい。それにしたって毎月聴診器で心音を聴いていたんだろうに。
毎月大きくなるお腹を見ても不思議に感じることもなかったのだろうか?

次に父だ。
父はとても頭のいい、人当たりもいい、仕事もできる細やかな人だった。気持ちも優しく、短気なところもあるが根は慎重で気弱で流されやすい。
双子の片割れが死産したことを、大変な出産をしたばかりの母に伝えることをしなかった。
母がショックを受けるから伝えなかったのだろう。
でもきっと反応が怖くて伝えられなかったのだと思う。
風邪を移したこともだが、身重の母をあまり労わることができてなかったのかもしれない。周りに責められ、母にも恨み言を言われるのが怖かったのかもしれない。

この出産時の騒動は、母方のごくわずかな身内と父のみ知るところとなり片割れはその日に密葬された。
父方は誰も知らない。
だから母方のお墓に入っている。

それがたまたま母が叔母と談笑している際に知ったらしく、そのタイミングで祖父から私に伝えられたというわけである。
多分叔母や祖父も、父は母に後追いでその話をしているはずだと思っていたのかもしれない。伝わってなかったので慌てて話したということだと思う。
その日からしばらく我が家では夫婦喧嘩が続いた。
母の怒りはなかなか収まらなかった。
それはそうだろう。
10年も自分の子の存在を知らず、ましてその子のためにお墓参りに行ってもあげていない。
父に対しての怒りは半端なかった。
大人になった今も父のこの行動については理解できない。
というか病院の誤診なんだし、当時はそこらへんどうなっていたのか。今なら訴えられて然るべきであり賠償金騒ぎなのではないかと思う。
今となってはどうにもならない。
産婦人科はとうの昔に畳んでしまっていた。

私は子供の頃から体も弱く、手がかかる子だった。
両親が共働きだったので学校は学区外。そのため自宅の周りに友達はいない。大人の中で自分遊びしかしてなかった。自分を表現したりすることが苦手で色々不安定な子だったと年齢を重ねた今ならよく分かる。

それが祖父の告白で変化した。
自分は生かされたのにこんなことをしてていいのか。
死んだ姉が「生かすんじゃなかった」と後悔するような生き方をしてはならない。
そう考えながら今も生きている。

生きているのが偶然だったとしても、ごく普通の人生をやはり2人分の記憶と体験と感動をと胸に留めながら生きていく。
いつかこの世を去る時に、いいことも苦労したこともあったけど、あなたのおかげでとりあえず楽しい人生だったと伝えられることを切に願う。





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