高橋源一郎 「さようなら、ギャングたち」
『私たちは、ギャングであることを自由に選択しました。その選択は義務でも強制でもありませんでした。もし再び、私たちに選択の機会が与えられれば、私たちは喜んでギャングであることを選ぶでしょう。
私たちは、ギャングであることを特権であると見なしたり、また逆にギャングであることに卑屈になったりもしませんでした。
私たちは、ギャングであることは相対的なものだと考えました。
私たちは、私たちの存在しているこの世界との関係の中でのみギャングであり、この世界との関係の変化だけが私たちをギャング以外の存在に変化させるものと考えました。
〜中略〜
私たちの行動の中には、たしかに不合理な夢が混じっていますが、私たちはそれらをやみくもに排除しようとは思いませんでした。何故なら、それらも私たちギャングにとって不可欠の属性だからです。
〜中略〜
私たちは、行動を終えた後、夜、机にむかっている時めまいをするほどの不安を感じます。それは私たちが、毎日少しずつこの世界から遠ざかってゆくという不安です。
それは私たちが、私たちの手でなしとげたことと、私たちがイマージュのうちに育んでいるものは全く正反対の姿をしているという不安です。
そんな時私たちは、逃げ出したい、何も考えたくないと叫ぶ私たちの心に、その不安から目をそらしてはならないと命じました。
目を両手でおおってはマシンガンをもつことは出来ません。それはギャングであることを放棄することなのです。 』
小説終盤での一人のギャングによる独唱です。
まるで歌のように澱みなく美しい文章ですね。
山川直人監督の映画「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」の中で、真行寺君枝さん演じる美しいギャングが、この長ゼリフを静かに語るシーンが、とてもカッコ良くて今も忘れられません。
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