少年ジャンプと夏休みと
あ〜退屈。
夏休み。
ミンミンミンミンと降り注ぐ様に鳴く蝉のいる校庭の雲梯の近くの木影で、同じ年頃の学童の友達と話していた。
校庭には子どもは見当たらず、夏休みの期間ここはガランと広い。
だからかいつもより空は広く青く見えるし、そこにある雲は高く遠くそびえ立つ様に見える。
学校の隣にある山も、新しく作る住宅地の工事は一旦ストップしていて、残された山の部分がいつもより大らかに昼寝している様な気がした。
呑気なもんだ。あんた半分削られてるよ。
ぼんやりしているとふいに『ぎゃあ!』と声がしてそちらを見る。
遠く遠くで同じ学童の男子達が夏の鉄棒の熱さを忘れて鉄棒に触れ、大袈裟に『熱い!!』『地獄の苦しみ!!』などと叫んで笑っていた所だった。
昨日もこのやりとり見たな。
一通りゲラゲラ笑った後、男子達は『無理やわ。やっぱサッカーやろーや!』とボールを蹴り出した。
『アホや』
『昨日もしてたやん。なあ?』
それを見た友達が隣で私を見て、力なく笑う。
『うん』
しかし、このやりとりも昨日もした気がする。
私たちだって昨日も今日もそんな変わりのない日々を過ごしているのだ。
ぼんやりする。
それにしても広い。
だだっ広い。
確かに人が少ないこの光景は気持ちが良いし、(あまり)誰もいないこの時間の校庭を見るのはレアかもしれない。
今頃。と、思う。
今頃、いつもここにいる沢山の子ども達は一体何をしているのだろう。
沢山の名前の知らない、同じ学校に通っている子ども。あるいはクラスメイト達。
夏休み子ども劇場観てるのだろうか。それともゴロゴロしてるのだろうか。宿題だって別に監視される訳じゃないだろうし、冷蔵庫も開け放題。
いいなぁ。
ふと悲しくなる。
自由だ。
それは。
それは自由だ。
校庭はただただ広く、開放感に満ち溢れていて、誰もいないプールの水面が風に吹かれてキラキラ光る。
ザワザワと大きな木が気持ちよく木影を揺らす。
空はあんなに青く広いのに、雲はあんなに高いのに、私たちはこの囲いから出られないんだよなぁ。
意味のある様な、ない様な事を考えながら
『自由が欲しいなぁ〜』
と、先に察した様に喋る友達に視線を移す。
友達は、夏の日差しで濃くなった大きい影を靴でなぞりながらため息をついている。
『やな〜』
私もまた力なく笑う。
学童に行っている子ども達の親は大抵働いているので、夏休みは、朝のラジオ体操が終わったらお弁当を持って各々学童へやってくる。
学童のスケジュールはしっかり決まっていて、朝は着いた人から夏休みの宿題や勉強の時間、お昼ご飯、おやつの時間、掃除当番(円をぐるぐる回して日替わりで変わる当番表。掃除機、洗濯、トイレ掃除、おやつ当番、休みと分割されている当番表を掃除の時間が終わったら一マス回す。)場合によっては皆と球技をしたり、大縄をしたり、協力して何かをしたり、何かよく分からないものを作ったりする。
ただでさえ運動も嫌い、団体行動も苦手な私は、なんでこの暑い夏の日にこんな事しなくちゃいけないんだと思いつつ、そしてそれがたまに漏れてしまって、先生に怒られたりもする。
終わったらやれやれと、電気とクーラーを消していた部屋に入り、我先にと薬缶を取り合いしている男子を横目に、もう一つの薬缶からコップへ入れて麦茶を飲む。
朝炊いてくれたこのお茶は、私たちが外で遊んでいる間に、タライに氷と水をはってそこへ入れて冷ましてくれていたやつだ。
まだ少しぬるい。
でも、お茶を飲むとほっとする。
バラバラバラバラと音がする。
外を見ると、乾いた音でヘリコプターが空を低く飛んでいる。
窓枠を境にさっきまでいたあちらの世界は、夏の眩しい日差しではっきりと全てを浮かびあがらせて、それは鮮やかな一つの絵画を切り取った様だ。
そこに赤い点のヘリコプターが小さく、でも大きな存在感で横切る。
遠くの団地では干した洗濯物がいつもより青い空で白くはためいている。
長閑だ。
ふとこちらを見ると、部屋はひっそりと暗く、さっきまでの鮮やかな光に目が慣れてしまって、全てが陰を纏って濃く見える。
その中で陰達が1秒も落ち着きもせず、縦横斜めとびょんびょんとしっちゃかめっちゃかに大騒ぎし、まだ出番ではありません。と、部屋は静かに暗転しているのに、その中で動き狂う陰と暗闇のアンバランスさはまるで、アングラ演劇を見ている様だった。
アングラ演劇…
もう一度反復してみる。
アングラ演劇…
実は小学生の私は本当は全然分かっていない。
それっぽい言葉を本で少し読んで、多分。今の状況にぴったりな気がしたのだ。
ここに使う様な気がする。
そんな感じ、そんな感じなのだ。
午前中はまだ涼しくて、風が入れば一瞬の爽やかさを感じる。
夏の風は、汗をかいたおでこも首筋も、少し長めに伸ばしていた髪の毛も一緒にしっかり強く撫でていく。
まだ横で男子達が意味のない大騒ぎをしてるのを見て、『私のない〜』と半べそかいている他の小さな子に『こっちあるよ』と薬缶からお茶を注ぐ。
そこへ男子は勝利の麦茶を『生き返る〜』とグビグビ飲み、それを見て『何を大袈裟な…』と先生が呆れて笑う。
これも同じである。
そして、昼寝の時間。
夏休み期間、お昼ご飯の後に各々ご家庭から持参したタオルケットに絡まり、1時間の昼寝する事が決まっている。
え…私もう大きな子なんですけど。
そう思いながら、
『疲れてないし、寝れないんやけど〜どうしても寝ないとあかん?』と、決して文句ではないんやけども…と、モゴモゴ言ってみるが、その答えは『ただ横になって目を瞑るのでもいいから、黙って寝なさい。』とぴしゃりと毅然な態度で返された。
あ、そうですか〜と思いながら、タオルケットを用意する。
いいよね〜大人は。
拗ねながら先生達に少し怒りを感じていた。
いいですよ。でも絶対寝ません。
その時間大人が一体何をしているのか見てやろう。そう思いタオルケットに絡まる。
普段寝ること大好きな私だが、こういっぱい人がいて寝なさいなんて言われたら寝れませんよ。
そんな事を思いながら。
そして、私は頃合いを見て薄目を開ける。カーテンを閉め、暗くした部屋の中で、先生達はアイスコーヒーを飲みながら、始終無言でさらさらと日誌や連絡帳の返事を書いたりしていた。
つまり仕事をしていた。
ハタハタと先生の白いポロシャツの端や、短い髪の毛の襟足が首を振った扇風機の風で揺れる。持っている団扇を仰ぐ手がたまに止まり真剣な顔をしている。
憎たらしい事を言いながらも、先生がそこに先生として存在している事に安心し、人の真剣な顔に安心し、どこか誇らしく感じながら、でも見つかると怒られるので、寝れない日はこっそり見つめていた。(寝ろ)
今考えると、休んでほしい。マジで。
さて、昼寝の時間には本を一冊読んで良い事になっていた。
私は夏休み用に母に数冊買ってもらった本や、市の図書館バスで選んだ読みたかった本をタオルケットに忍ばす。
皆それぞれお気に入りの本を持ってタオルケットに潜り込んでいく。
そんな中一際賑わす不動の人気者の本があった。
ジャンプ。そう少年ジャンプだ。
とても緩い時代である。
昼寝には一冊だけ本を持ち込んで良い事になっていたが、その本の中にはジャンプも含まれていて、それはそれは大変な人気だった。
学童の先生の一人が、高校生と大学生のお子さんが読まなくなったやつを、たまにドサっと持ってきてくれていたのだ。
それを皆ワクワクしていた。
最初の方は私もお気に入りの本を読んでいたが、夏も後半になると、買って貰った本は何度も読んでしまったし、次の図書館バスが来るまではかなりの日にちがある事に気付く。だから私もジャンプを読みたいのだが、そもそもジャンプはかなりの争奪戦で、特に一番最新号は入手困難だった。
まずは男子のボス格の奴が読み、その後男子が本気の争いをするので、その時点で私の順番はかなり後である。
男子はたまに喧嘩の大小に関係なく、見境が無くなる事があるので、ここは見守るのが安パイだ。
ヒートアップしてくると、その男子の喧嘩のせいで何回没収なったと思ってんねん。と思いながら喧嘩…いや、本気の争いとジャンプの行方を無言で見守っていた。
さて、運良くジャンプを手に入れてもボーっとしていたり、少し手を離した瞬間、『隙あり!』と言って掻っ攫われるので、タオルケットの中に入るまでは絶対に油断できない。
そうやって折角手に入れたジャンプも、15分しか読めないので、何の話を読むかは必ず目星をつけないといけない。
たまに少年誌らしいお色気シーンがある所に出くわすと、目敏い男子が『こいつエロいの読んでたで!』と昼寝の後にすごい大きい声で言いふらすので、話の回。そこも慎重にならないといけない。
でもたまに避けれない事もあった。
予測出来なかったのだ。
ああ。しまった…
こういう事態になった時は、ひとつだけ回避方法があった。
それは
『え。あれ、こち亀やから』
と真顔で言う事だった。
『なんでエロいやつあるって知ってんの?もしかしてあんた読んだんとちゃうん?それともずっと私の事見てたん?』などとは決して言ってはいけない。
口で勝てたとしても、彼らは公衆の面前で恥ずかしい思いをしたり、男の面子を潰されると急に暴走しだすのだ。(お前から仕掛けたんやけどな)
その時は極めて冷静に『え。あれ、こち亀やから』と男子に言い渡す。
こちら葛飾区亀有公園前派出所。
通称・こち亀。
それだけだ。
必ず動揺してはいけない。
そうすると男子はなぜか『ふーん』と急に落ち着きだし納得するので(よく考えるとこち亀にそんなシーンほぼないんやけど)これは漫画を読む女子と情報共有していた。
だってたまに急に出てくるやんか。
そう。
その時は、あれはこち亀って言うねんで。
そういう事もあり、昼寝は場所取りがとても大事である。
しっかりした場所取りをしないと後々面倒だ。
トイレに近い場所はからかわれるので却下。風通しの良い場所が良いけど、あまり風通しの良い所へ行くと、外に近くなり一輪車やら外遊びの道具についた砂が飛んできて土っぽくなるから却下。
クーラーからは遠過ぎたら暑いが、だからといってクーラーを重視すると、先生の近くになって監視の目が厳しくなる。
先生からの死角。これも重要なのだ。
読書は15分過ぎたらやめないといけない。
目を開けていると、遠くでこちらを見ている先生と視線が合い(寝!な!さ!い!)と鬼瓦のような顔で口パクしながら言い渡される。
隠れて本を読んでいると取り上げられて没収、あるいは無言でベシッと叩かれる。
(15分って中途半端よな…)
でも、ジャンプは読めるとこまで読みたいし、出来れば全部読みたい。
一時間あれば絶対読める。
それにこのジャンプを一度手を離してしまったら、次はいつ手に入るのかわからない。
読むか…
そう思ったが、隠れてこっそり読むのはかなりリスクが高かった。
それにはまず別の監視の目があるからだ。
ジャンプを取られた事を恨んでいる奴は、今ジャンプを手にしている奴の動向を恐ろしく見ている。
深淵を見つめる時、その深淵も…いや、違うか。
もしこっそり読んだ日には必ず先生へ密告され、その行為が見つかってしまう確率は非常に高い。
しかし一番の最悪の事態はそれではない。
一番の最悪の事態は取り上げられたその号のジャンプが無情にも冷蔵庫の上の奥へと放り投げられる事だ。
そうすると、その号のジャンプは永遠に手に入らなくなるので、かなりの人数に恨まれる事になるのだ。
夏休みが始まったばかりでこれをしてしまった奴は針のむしろに立たされる。
お前。俺の夏休み返せよな。
そう言われている人間を私は確かに見た。
仕方ない。
大人しく、目を瞑る。
目を瞑るとゆらゆらと窓から差し込む光と陰が揺れているのを感じる。
そういやこの角度から見た事ないなと、少し目を開けて確認する。
目の前をキラキラとチカチカと光が揺れる。そして周りからはスースーと小さな寝息が聞こえる。
皆横たわって眠っている。
憎たらしいあの子も、可愛らしいあの子も。
ゴロンと寝返りを打って、壁に顔をくっ付ける。分厚いコンクリートを感じる。
冷たい。
後ろには確かに寝息が聞こえて、小さくカリカリという鉛筆の音。そしてパタパタとはためく音がする。
朝、干された白いタオルは、クルクルと気持ち良い風に揺られて回りだす。
皆いる。
安心する。
そして、もう一度目を瞑る。
急にガヤガヤと音がして昼寝が終わった事が分かる。
皆がタオルケットを畳んでいるのを下から眺める。
たまにぼんやりしたりしていると、可愛らしい声や憎たらしい声で笑われる。
起きて。
長い長い夏休みは子どもの毎日が狂わない様に、しっかりしたスケジュールが組まれている。
大人になった今では、怖かった先生も優しかった先生も、こんなに沢山の子ども達に毎日目を配って頂き、本当に本当にお疲れ様です。と思う。
子どもの頃は、この長い夏休みはどこかいつもと違うワクワクへと誘う場所へと繋がっていて欲しいと切に願った。
その為には、私たちには自由が必要だと思った。
だってジャンプの主人公達も、学校ではないどこかで冒険しているではないか。
『これじゃ。学校と変わんないやん。』
そう言いながら校庭の木影の下。さら砂の土を掌に掬い上げ、少しずつ砂を落として、慎重に慎重にきらっとした星のカケラを探す。
透明の石の粒。
大きいものは月のカケラと名前が変わる。
たまにガラスと間違える事があって、
『それは多分違うんじゃない?』
と言いながらじっくり友達と見つめて判定する。
そしてガラスだった場合は遠く遠くへ放り投げる。
また本物と間違えて拾ってしまってはいけないから。
でも実は、その集めたカケラ達も本当は同じガラスなのかもしれない。
でも私たちは満足する。
これが本物と信じて握りしめる。
今日は、沢山の星や月のカケラを集められたので、もしかしたら良い事があるかもしれない。
そう思い、ぎゅっと掌をしっかり結ぶ。
お母さんや妹にも見せてあげよう。
そう思っていたのに、そのカケラたちは次に掌を開けた時には少しだけ指の隙間に挟まっているだけで、殆どはいつの間にか無くなってしまった。
『お〜い!!帰る時間やよぉ〜!!』
遠くで大きく手を振りながら近付いてくる先生の声がする。
先生は黒い陰になってよく見えない。
いつの間にか日が暮れていて、その姿がよく見えない。
怒っているのだろうか、笑っているのだろうか。
私たちは顔を見合わして、一緒に地面を蹴って走りだす。星のカケラも月のカケラも蹴り散らしながら、はあああい!と大きな声で返事をしながら。
ずっとずっと先で手を振っているものに向かって走りだす。
明日もそんなに変わらない日だろうけど、その日々の積み重ねで、確実に違う未来へと向かっている。
私たちはそんな事も知らずに、大きく手を振るその場所へと向かって全速力で走り出す。
漫画の主人公になった様な気持ちで、はやる気持ちを抑えて、しっかりと全速力で。
最後に。
冨樫先生。
連載開始時、小学生だった私は、もう30代も後半となりました。
あの日から正座して待ってます。
どうぞお身体には気をつけて。
楽しみにしています。
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