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感情はただの反応な気がする

最近漠然とよく思うこと。
「感情は自分ではない」
という感覚について。

私もちょっと前までは、
感情を、
あるいは自分が何を感じたか、を

自分の本心、
言い換えれば自分自身、
を知るための手がかりにしていた、というか

単純に言えば
自分の感じた感情=自分
と思っていたんですが。

最近は
感情=ただの習慣的な反応≠自分
という感じをしばしば感じている。

例えば今日。

スーパーのレジで並んでいたら
「横入り」しようとしてきた女性がいて、
私はたぶん、思いっきり怪訝な顔をしちゃったんだけど、

「横入り」は勘違いで、

その女性は、レジ前にいた男性の家族だったようで、
追加の一品を、
レジ全部打ち終わったギリギリに、
なんとか持ってきたところだったんですよね。


横入り、と思ってムッとしたんだけど、
その感情がイコール、「自分本来」かどうか、といえば
それは「自分自身」「自分本来」をあらわす何かではなくて
ただのパターンへの応答、でしかない
としか思えない。

横入り、と思ったからムッとする、という
習慣的なパターン。

信号青になったら、渡る、
ぐらいの自動化された何か。

横入り、あ、どうぞ、どうぞ急いでる方お先に
という方向に自分を訓練したらそうなると思う。
(今のところ必要性を感じないからしないけどw)

だから横入りと勘違いした、
という自分を恥じたりもしない。
だって、あの時の状況:その女性が、どの位置からどんな表情で、どんな歩き方で現れたか
に、そう思ったのは仕方ない
と思うから。
これもパターンによる認識。
パターンはパターンで、確率の問題だから、
そりゃハズれることもある。


反射的に覚えた感情を、
「自分本来」と勘違いせず、
ただの「パターンやん」って疑えるようになったら、

性格(何にどんな反応をする)はある程度自由につくれるような気がする。
持ちたい価値観に合わせて。
その価値観にあった、性格を。

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