先祖の恋はタバコのflavorがした/ある歌人神官がみた明治(5)
葦の舎あるじは、喫煙者だったらしく、煙草を詠んだ歌がある。200首を超える歌集で4首のみなので、ヘビースモーカーというわけではなかったのかもしれない。ちなみに酒を詠んだ歌はない。
明治28年 煙草が焦げるように恋焦がれる心を見せたい
年代を追って順番に紹介する。
一首目は、小倉百人一首49番
「御垣守(みかきもり)衛士(ゑじ)の焚く火の夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ(大中臣能宣)」
の、これでもかという本歌取り。なお、『随感録』は恋を詠んだ歌が非常に多く、この歌は恋歌の初出となる。
暗い部屋でふかした煙草のじりじり燃える炎と、己の恋焦がれる心を重ね、いっそ立ちのぼる煙になってあの人のところへ行きたい…(そこまでは書いてない)
時期としては、上京して國學院に通いはじめた年で葦の舎あるじは数え20歳。おそらく煙草を覚えたのもこの頃だろう。
「未成年者喫煙禁止法」の施行で満20歳未満の者の喫煙が禁止されるのは明治33年だが、上京前に通っていた旧制五高は全寮制で、喫煙する隙はなかったと思われる。
明治29年 学生の本分は勉学、煙草はその友人である
葦の舎あるじの恋の行方やいかに。実は翌29年にかなり情熱的な恋をし、かつ失恋し絶望している。その相手が前述の寄煙恋の君と同一なのかはわからない。
ともかく恋に破れた痛手を振り払うように、奥深き勉学の道に励もうとする葦の舎あるじ。余談ながら、彼が愛読していた形跡がある国学の四大人、鈴屋大人こと本居宣長も愛煙家で知られ、つねに煙管を手放さなかったというエピソードが残っている。
そういえば肖像画でも煙管もってたような気がしません? それは平賀源内の肖像画です。
明治31年 「煙、雲になる By浮雲男」 憂き世を忘れちゃおうぜ
明治31年の歌はややテクニカルだ。
「うつせみの」は「世」にかかる枕詞。座頭市でいうところの「ああ、イヤな渡世だなぁ…」、でもまあ、ちょいと忘れて一服しますかという歌で、ポイントは「うきふし」「わすれ草」を、煙草の隠喩に用いているところ。
「うきふし」を煙管の羅宇(らお)の部分として詠みこんだことで、「わすれ草」も煙草の意味をなしてくる。
「わすれ草」はノカンゾウの異称で万葉集の時代から歌に詠まれてきた。主に恋の歌だが、本居宣長は随筆『玉勝間』で、年とるとますます物覚えが悪くなって、今見たり聞いたりしたことでもすぐ忘れちゃうよね、というエピソードで詠んでいる。中年あるあるすぎるので機会があればふれていただきたい。
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