先祖、紫式部を詠んでみた/ある歌人神官がみた明治(8)
今回は小ネタです。大河ドラマ「光る君へ」放送にあわせて。
歌集で唯一、取り上げられている歴史的人物
私歌集なのだから、自分の好きに詠んでいいとは思う。「葦の舎あるじ」はお気に入りのモチーフは習作を重ねていたのか、何度も取り上げてブラッシュアップしている様子がある。
たとえば第4回でとりあげた「砧」なんかは、明治27年に詠んだものとほぼ同じシチュエーションを、明治30年に改めて詠んでいる。
個人的な好みでいうと、最初の歌が実直な感じでいい。秋の夜長、砧打ちに疲れてふと月を見上げる、とか、月にみとれて砧打ちの手がとまる、というのは光景としては美しいが、やりすぎ感があるというか技巧的というか。
現代の感覚だからかも。
逆に、1回だけ登場するモチーフもある。
「くつわ虫」「水鶏(くいな)」「猿のこしかけ」「月琴」など。まあ水鶏はともかく、他は繰り返し詠む題材ではない。
で、本題。唯一詠んでいる歴史上の人物が紫式部だ。
なお、『随感録』とともに出てきた大量の蔵書の中には、江戸期に発行された『紫式部日記傍註( 壷井鶴翁 傍注)』上・下もあった。
紫式部リスペクトだったのか。我が母の証言によれば、昔みた時、蔵書類の中に和綴じの『湖月抄』(『源氏物語』の注釈書)も、木箱入りで一揃いあったという。
中学校の国語教師であり『源氏物語』オタクだった母が見間違うとは考えづらく、たぶん本当に『湖月抄』はあったのだろう。
だが、実家解体の際にはどこにも見当たらなかった。
箱に入った状態で一揃いあれば、売ればそれなり…やめておこう。葦の舎あるじのものであれば、蔵書印が押印されているはず。
いつか神保町あたりで見つかるかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?