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先祖、紫式部を詠んでみた/ある歌人神官がみた明治(8)

今回は小ネタです。大河ドラマ「光る君へ」放送にあわせて。

歌集で唯一、取り上げられている歴史的人物

 私歌集なのだから、自分の好きに詠んでいいとは思う。「葦の舎あるじ」はお気に入りのモチーフは習作を重ねていたのか、何度も取り上げてブラッシュアップしている様子がある。
 たとえば第4回でとりあげた「砧」なんかは、明治27年に詠んだものとほぼ同じシチュエーションを、明治30年に改めて詠んでいる。

擣衣
たがために衣うつらむさよふけて 賤が門辺に音のきこゆる


うちわびて月やながむる小夜ふけて 賤が砧の音ぞたゆみし

『随感録』5、6番 明治27年ごろ

月前砧
賎の女が衣うつ手ぞたゆみけり さやけき空の月や見るらむ

『随感録』106番 明治30年

 個人的な好みでいうと、最初の歌が実直な感じでいい。秋の夜長、砧打ちに疲れてふと月を見上げる、とか、月にみとれて砧打ちの手がとまる、というのは光景としては美しいが、やりすぎ感があるというか技巧的というか。
 現代の感覚だからかも。

 逆に、1回だけ登場するモチーフもある。
「くつわ虫」「水鶏(くいな)」「猿のこしかけ」「月琴」など。まあ水鶏はともかく、他は繰り返し詠む題材ではない。

で、本題。唯一詠んでいる歴史上の人物が紫式部だ。

紫式部
千代ふともかはらじものはむらさきの いつかゆかしき水くきのあと

『随感録』184番 明治33年


月岡芳年『月百姿 石山月』明治20. 国立国会図書館デジタルコレクション

 なお、『随感録』とともに出てきた大量の蔵書の中には、江戸期に発行された『紫式部日記傍註( 壷井鶴翁 傍注)』上・下もあった。


入手したのは明治になってからという書付があった

 紫式部リスペクトだったのか。我が母の証言によれば、昔みた時、蔵書類の中に和綴じの『湖月抄』(『源氏物語』の注釈書)も、木箱入りで一揃いあったという。 

湖月抄  54巻 北村季吟著 延宝1(1673)成立 刊
『源氏物語湖月抄』とも。源氏物語の全本文を掲げて傍注を添え、上欄に先行の諸注を集成して、更に自身の考えを加えている。
本文を完備し、諸注も集大成され、基礎的な事柄が説明されていることなどから、近世を通じて最も広く流布し、『源氏物語』の普及や研究の促進に大きく寄与したといわれる。

『湖月抄』東京都図書館

 中学校の国語教師であり『源氏物語』オタクだった母が見間違うとは考えづらく、たぶん本当に『湖月抄』はあったのだろう。
 だが、実家解体の際にはどこにも見当たらなかった。

 箱に入った状態で一揃いあれば、売ればそれなり…やめておこう。葦の舎あるじのものであれば、蔵書印が押印されているはず。
 いつか神保町あたりで見つかるかもしれない。

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