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病気への理解についての雑多な考察

「病気について理解してほしい」「病気や障害についてご理解を」とよく目耳にするけど、具体的に何を求めているのか考えたことある?

「理解」とは?


病気を理解してほしいという個人のブログなどを見ると、「こんなに大変なんだよ!」「こんなにツライんだよ!」と訴えかける内容のものが多いなぁ〜と思うんだ。
でも、たぶんそれは実際に当事者になってみないと理解できないと思うのよ。
もちろん病気や障害に対して知ってもらうことは必要だけど、当事者にならない限りはただの「知識」にとどまっていて、「理解」までは及ばないと思うんだ。
だから「理解」については無理!と割り切っちゃったほうがいいんじゃないかな〜とワイは思うのだ。

「こんなにツライんだよ!」とアピールして相手に何を求めるのか?
場合によっては「かわいそうなひと」と思われるだけかもしれないし、悲劇のヒロイン気取りだと冷ややかな目で見られるかもしれない。


「理解」によって相手に求めることは、
「病気のせいでこれができないから手伝ってね」
だと思うのだ。

ひとって、他人が今どうしてほしいのか具体的に言ってもらわないとわからないと思うんだ。
夫婦関係だってそうじゃない?
言ってくれないと分からないということは多い。

例えば、関節が痛くてペットボトルのフタが開けられない場合。
フタが開けられなくて困ってる様子を見て察してもらうのを期待してしまいがちだけど、察することができない人は意外といるもんだ。
そんな時は困ってるアピールではなく、「痛くて開けられないから開けておくれ」と言ってしまったほうが相手に伝わると思うのだ。

何が言いたいのかというと、困ってるアピールではなくて「できないことを伝えて援助してもらう」というのが、当事者が理解の先に求めていることなんじゃないかな〜と。
そして、援助者には「この人にコレはできないんだな」と割り切ってもらい、素直にやってもらう。
ちなみに、そこで援助者に不愉快な顔をされたり援助してもらえなかった場合、「理解がない」と判断する。


できないことを伝えるということが大切なんじゃないかなぁ〜。

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