「ダサイたま」と蔑まされても怒らない埼玉県民についてのワイ的考察
『翔んで埼玉』という映画の公開で全国的に周知されたと思う。
埼玉県民は東京都民から日常的にマウントをとられ蔑まされている。
まあ令和においてはだいぶ減ったと思うが、いまだに根強く残っていると思われる。
んが、この感覚はあくまでも推測である。
ワイはここ数年は都内に外出することが減ったから実情を体感できていない。
ちなみに、ワイが学生だった20ウン年前はマジで日常的であった。
しかし、「ダサイたま」「田舎もん」と都民からバカにされても笑って済ましてしまう埼玉県民がほとんどのように思われる。
むしろ楽しんでいる人もいる。
ゆえに自虐的ともいわれるが、埼玉県民はディスられてもなぜ怒らないのだろうか?
この件について、ワイの経験から考察してみようと思う。
このように面と向かってあからさまにバカにされるのだが、この時ワイはこのように思っている。
昔はね…田舎というと農村地帯で、そこに住む民はみんな農家だから社会に出て働くというよりも地域から出ずに生産をしていて…。
だから社会に出て働いている都会のひととはコミュニケーションに乖離があって、そこをバカにされたりしていたのかもしれん。
でも現代では、かなりの高齢者を除けばそんなに大差はない。
むしろ田舎暮らしに憧れるひとだっているくらいだ。
田舎と都会、それぞれに良いところがあり悪いところもある。
都会がエライとか上位であるということはないのである。
さて、埼玉県民は東京都民に対して対抗意識はない。
少なくともワイにはない。
「埼玉県に住んでいるひと」「東京都に住んでいるひと」という事実が眼前にあるだけである。
埼玉県民が東京都民に対してマウントをとることはたしかに時々ある。
都民からバカにされたことに納得がいかず、こっちからもひとこと言ってやろうという気持ちからであろう。
大概は「あんなゴチャゴチャしたところは人間が住むところじゃねぇ!」などと反論するのである。
まぁでも、それもね…。個人の好みだから。
ひとが他者に対してマウントをとるという行為は、当人のなかに何かしらの弱みや劣等感があるのだと思う。
弱みを見られたくないから「自分はチミより上位なんだぞ!」とアピールするのだ。
相手を下位に貶めることで自分が上位なのだとアピールするのである。
これは、相手に対して対抗意識があるからこそ生じる現象である。
仮に東京都民のほうが上位だというのなら、下位である埼玉県民に対してなぜ対抗意識をもつのか?
フフン…
いっぽう、埼玉県民には東京都民に対する対抗意識がない。
ゆえに、どちらが上だとか下だとかということを意識したことがない。
だから、初めてマウントをとられた時は
ん…どうゆうこと?
もしかしてディスられてる?
でも言ってることは事実だからなぁ。
という感じ。
さらにいうと、埼玉県には「これは絶対に負けないぞ!」というくらい自慢できるものがとくにないため、埼玉愛が乏しいように思われる(あくまでもワイの考察である)。
ゆえに、おらが埼玉県をディスられてもほぼNOダメージなのである。
だから、東京都民によるディスられを「また言ってるわ、アハハ☆」と受容してしまう。
それがいつしか楽しくなってしまい、みずから埼玉県をディスるという、第三者から見たら自虐的と捉えられる行為になってしまっているのである。
くりかえすが、あくまでもワイ個人の考察である!
おちまい
\ おまけ画像 /
ワイが気を紛らわすためにやっているマスコット作りによる作品群です。
2023年1月以前の記事は【~猫乃イカ耳~】で読むことができます。
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