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⑤理解はするが受け入れられない

この数年悩んできた問題に対するアンサーともいえるいい動画を見た。
「「お前もがんばれ」への対応解説」by 精神科医が心の病気を開設するChの益田先生

人には、生まれ vs 育ち の両方が影響して、能力や伸びしろは人それぞれだという。

そういわれると、あたりまえじゃんと思ってしまうが、これは頭の中での理解のみ。自分はその事実を受け入れられていなかったし、今も完全に受け入れられていないと思う。

もし、後輩のことを、能力が伸びしろが極端に低いことを含めて受け入れられていたらこんな事故にはならなかった。受け入れられなかった根底には、業務量超過に加え、自分の「あいつばっかりずるい」と思う気持ちがあったと思う。

数年後立った今、後輩を受け入れられる気持ちがあるかと言えばない。会社が後輩の能力を正しく見極めて、後輩および周囲の業務負荷の調整をするべきだと思っているし、それがかなえられなかったから自分は退社することになった。

固い心は折れやすい。未来の自分のために書いておきます。
これすらも「べき」論なのかもしれないが…。ううぅ。


結局、後輩は発達障害かどうかわからずじまいだが、後輩を見ていた自分は精神科である産業医に「カサンドラ」と言われた。職場のカサンドラ。オフィスラブならぬオフィスカサンドラ。だから後輩もおそらく発達障害気味だったのだろうと今は思っている。

後輩を指導していていつも思っていた事。それは、今が100年前で肉体労働に従事する人が多い中であれば、彼は十分働けているだろう。力はあるし、やる気があるからだ。さぼる癖はあるが、PCでの作業でなければさぼらなかったかもしれない。彼はその世界では自分よりもずっと優れている。そんな昔の時代には発達障害もカサンドラもなかった。ただの変わったやつだったかもしれない。ひょっとすると村のルールを乱す自分のほうが変わったやつだったかもしれない。そう考えると、現代に生きていてよかったと少し思ったりする。職場や住む自治体を簡単に変えられるのは良いことだ。

人生にはいろいろなことが起きるんだね。なかなか一般的ではないので人には話しづらいけども。もしこの文章を誰かが見てくれて何か思ってくれたらうれしいと思っています。


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