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01:美しい鰭/スピッツ

スピッツが劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影』の主題歌に抜擢されたというお話を小耳に挟んだ日から、あっという間に公開へ。
劇場版26作目にしてついに、コナン映画が興行収入100億円を突破しました。
コナン製作陣の皆さま、コナンファンの皆さま、おめでとうございます。
かわい いねこは在りし日に劇場版第1作を映画館で鑑賞しました。
懐かしい思い出です。
あれから四半世紀が経ちました。

その間、いろんなモノやコトやヒトにハマり、豊かなオタク人生を過ごして参りました。
そんな私がいま最新で沼っているところがジャニーズアイドルだと言うのだから、本当に人生とは何が起こるかわからない。

最近一番よく聴いているアーティストはKing & Princeなのですが、一番よく聴いている曲はまちがいなく『美しい鰭』

劇場版コナンのために書き下ろされた楽曲なので、じっくりと噛み締めるにはコナンの世界観を把握している必要があるような気もしなくはないけれど、そこはスピッツなので大丈夫。

スピッツの歌詞は時に(というかほぼ)考察が必要なほど抽象的なのが特徴で、平たく言えば「何を言っているかよくわからない」そんな歌が特に初期の頃には山ほどある?
けれども、よくわからないけれど、よくわからないからこそ何となく、何を言っているかがわかる。
そんな気持ちにさせてくれるスピッツの世界が私は好きだ。

感覚的にはアレです。
キティちゃんにお口がないのと同じ。
口や眉毛といった感情表現する上で重要なパーツを排除することによって、喜怒哀楽のどの感情にも寄り添えるようにとデザインされているキティちゃん。
それと同じ感覚で、スピッツの描く抽象的な世界はありとあらゆる人のありとあらゆる状況に、心に、寄り添ってくれる。

映画やドラマ、アニメなんかの物語がある作品へのタイアップ曲、個人的には

①提供作品の世界観にマッチして、作品を盛り上げている
②提供作品を知らなくても一楽曲として楽しめる

この相反する2つの条件を兼ね備えていると良曲だなと思う。

『美しい鰭』は劇場でこれを耳にしたコナンファンの友人もたいそうお気に召したそうで、スピッツに興味を持ってくれたので先日CDを貸してあげた。
なので、①はクリアしている(はず)

そして私は②の観点から『美しい鰭』を楽しんでいる。

スピッツの曲はとにかく歌詞がいい。
どこがいいと訊かれたら歌詞カードにココとココとココがいいのよと好きなところに赤ペンを入れたくなる。
でもほとんど真っ赤になるとわかっているので、やらないのです。

『美しい鰭』は肯定の歌。
世界を、誰かを、自分を、生きることを、肯定する懐の広さがある。
それでいて、

鰭、波音、海原。

用意されたワードから見える景色はどうしたって海で、目を閉じてこの曲を聴いていると海の底にいる気分になる。
海の底にぽつんと一人ぼっちで漂っているような、広さの中に自分の存在の小ささが浮かび上がる、厳しさと寂しさがある。

「しずくの小惑星の真ん中」って言い回しがいいよね。
しずくの小惑星はきっと水の惑星。ブループラネット。我らが beautiful earth のことなんでしょうけどその「隅っこ」とかじゃなく「真ん中」なのがいい。
真ん中。
自分を中心にどこまでも広がっていく「外」
その途方もなさ。
自分の居場所を認識する時、隅っこなら寄りかかるものがあるかもしれないし自分の意志で中へ中へ歩み寄ることもできるけど、真ん中は孤独だなあと思う。
その孤独からじんわりと染み出す決意の独り言みたいなサビが、マサムネさんの歌声の美しさと相俟って最高なんだよ。

流れるまんま 流されたら
抗おうか 美しい鰭で
壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように

美しい鰭/スピッツ

流れる、抗う、壊れる、いられるの怒涛の動詞4連発。
こんなのもう、声に出して読みたい日本語だよ。
このたった3行の歌詞に仄暗い海底に希望を持つ者の存在を感じさせる。
日本語の妙が目一杯詰まってる、スピッツの真骨頂。

言葉の妙と言うなら『美しい鰭』という火の玉ストレートなタイトルがそもそも!
ここで言う美しい鰭というのはきっと、南国の魚のような鮮やかできらびやかな鰭に限ったことじゃなくて、暗くて冷たい水を掻き分けてきたぼろぼろの鰭でもいいんだと思う。それが自分の鰭であるならばそれで。
この「美しい」はドブネズミみたいに美しくなりたい、のそれと同義の鰭。
ああ、痺れる。

この曲、最初から最後まで一度として一人称が出てこないので独白のようでいて、聴いている時の気分次第で第三者目線で受け止めることができるのもすごくいいなと思う。
一人称視点で聴くと芯の強い決意の歌だけど目線が第三者になった途端、一転して優しい優しい、神様みたいな歌になる。

流される生き方の是非を問わずただ事実として受け止めてくれて、でも思うところがあるなら、くらいのニュアンスで従わなくてもいいんじゃないかと言ってくれる優しさ。
いかなる過去をも認めた上で「自分でいられるように」と願う優しさ。

芯の強さが自分を肯定している。
神様の優しさが誰かを肯定している。
延いては世界を、生きることを肯定している。

強がるポーズは そういつまでも
続けられない わかってるけど
優しくなった世界をまだ 描いていきたいから

美しい鰭/スピッツ

あらら。
強がりって言っちゃった。
ずっと続けることも難しいって言っちゃった。
そんな、弱さを認めるのもまた強さ。

それより何より、「世界」のことを「優しくなった」って、「まだ」「描いていきたい」って考えているんだよ。
裏を返せば、それまで世界は優しくなかったし、続きを描くこともともすればやめてしまっていたかもしれなかったと。
でもなぜそうしなかったのかは、ちゃんと2番のサビで回収されてたね。見事だね。

すべて「君」の存在があるからだよね。
ここで出てくる「君」の存在感たるや、海中から見上げた太陽のよう。
どんな時でも想う相手がいると言うのは素敵なことだね。

暗い海の底から、一筋の光明を目指し水を掻いて進む鰭の美しさを見たよ。

流れるまんま 流されたら
出し抜こうか 美しい鰭で
離される時も見失わず 君を想えるように

美しい鰭/スピッツ

出し抜くという、したたかな思惑を示しておきながら「君を想えるように」なんて、ほんのちょっとだけロマンスを匂わせる。
しかも、離される時というマイナスの事態を想定して尚、見失わないぞと。
この辺の感覚、『死にもの狂いのカゲロウを見ていた』の頃とあんまり変わってない気がする。
小さな声で大きな嘘ついた、あの感じ。
この謙虚でしぶとい感じが延々脈々36年続いているのがたまらないんだよ。

やってくれたよ、スピッツ。

MVにはスピッツファンでおなじみの上白石萌歌ちゃんが出てます。
コナンとは(たぶん)何の関係もないドラマ仕立てのMVですが、これはこれでほろりと来るストーリーです。

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