はじめに
大昔、イタリアで生活していた時期があった。ローマに住んでいた。いま思えばなんと贅沢なことだったかと思うが、当時は、サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会手前のながーい階段に頬杖を突いて座り込み、明日か明後日にはこの町をあとにするだろう日本人観光客たちを眺めては、「あの人たちは、いいなあ…きれいなものだけみて、おかいものして、すぐにさよならできるんだもんなあ…」とため息をついていた。要するに、帰りたかった。
あの頃僕は学生で、目的は留学だった。そう、いちおう目的はあったが、学問的に得られたものは多くなく、イタリア語もそれほど上達しなかった。しかしそれらはひとえに自らの能力不足や怠惰に起因するものであり、イタリアにもローマにもなにひとつ責任はない。それどころかローマは――あらゆる時代がぶつかりあって一塊の熱いカオスになったあの町は、いつでもだれにでもとても気前よく、その豊穣な歴史の分け前を、無償で与えつづけてくれていた。
la citta'
「町」を意味するこの名詞が女性形であることに、特に意味があるわけではない。けれどもローマが僕にとって、母に似た存在であることは確かだろう。帰国してすぐ、スーパーには新鮮なズッキーニも水牛のモツァレラも、ばかでかいぶどうの房も売られていないことに失望し、あれほどうるさいと感じていたローマ訛りのイタリア語やその喧騒からかくまってくれる古い教会、10分遅れても何のアナウンスも無しにのろのろテルミニを出ていく各駅停車、その上に輝く地中海の青空がどこにもないことに、深い喪失感をおぼえていた。
Mi manca Roma.
Vorrei andare a Italia ancora, no anzi piu' e piu' volte.
イタリアを思う気持ちは、イタリア語でしか表せない。イタリアにいつか帰りたいと願う気持ちは、日々イタリアのことを学び、短い休暇をすべてそれに捧げることでしか、具現化し得ない。
ああ、なんだ、気付いたら…
魅入られていたというわけか。
関心が狭いせいもあり、そうそうおもしろいことが書けるわけでもないけれど、たまに、思い出したことや、考えたことをメモしていきたいと思います。