羨ましかったのでとりあえず生きることにした
私は今、激しく落ち込んでいる。
赤の他人だが、飛び抜けて文才があり、一方的に尊敬しているあるお方のエッセイを読んだからだ。
叙情的で、でも軽くクスっとさせられて、最後にはなんとなく涙が出そうになる。
短い言葉の中に人生が詰まっているようで、爽やかに感動してしまうのだ。
その言葉を、表現を、身に着けたのは努力なのか、生まれ持った才能なのか。
それとも数多の経験がそうさせたのか。
翻って。私には何もない。
ならばせめて変人に生まれたかった、と思うのだ。
ところが、今まで働いてきた会社では大抵、バランス感覚がある。などという、ありがたいが全く欲していないタイプの評価をいただいたりしてきた。
違うのだ。欲しいのは「破天荒」とか「変わり者」のレッテルなのだ。
狂っていると言われたいのである。
人とは無いものねだりをする生き物なのだ。仕方がないではないか。
昔、ある人に生き方が雑、とか、友人から人生がパンク、と言われた時は「お褒めにあずかりありがとうございます」と涙を流しそうになったものだが、年を取るにつれ、̚角がまーるく削られてしまった。
ウニの様にとまでは言わずとも、きゅうりの棘くらいは尖っていたいじゃないか。
これではただの私である。
しかし、かかりつけの心療内科の先生は言っていた。
「あなたは思うままに、自由に無計画に生きる性質の自由人なのだから、あの人のようになりたいと考えるのは無駄である。」と。
そうなのか…
それなら、私の思うままとは何だろう。
ああ、そうか。
こうしてグチグチと人を羨んだことまで文章にすることなのかも知れない。
だったら下手くそでもこうして書くことは精神衛生上とても良いことなのだろう。
つまり、ただの私でいることが良いことなのだろう。
でもなあ。これがなんとも面白みに欠けるのだ。
自分で言うのもなんだが、パンチが足りないというか、ひねりが足りないというか、要するにイマイチなのである。
そんな駄文なのに、まれにスキしてくださる方がいらっしゃる。
有難いことじゃないですか。
生きる励みになります。ほんとうに。
だから今日も
とりあえず書く。
とりあえず生きる。
とりあえず仕事する。
とりあえず食べて寝る。
こうやって「とりあえず」生きている。
きっとそれも悪くないのだ。
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