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接地、寒の戻り、朝寥々たり

いま僕の中で最もホットな絶望は、昨冬マンションの管理会社が行った自転車整理で、ずっと乗っていたママチャリが処分されてしまったことだ。研究室に行くときに通った裏道で、車の侵入を防ぐ金属製の杭にぶつからないように丁寧に蛇行した光景だけが、記憶の層の最も手前にある。
新学期はじめに行われる大学生協による販売会で「カゴのある、一番安いものはどれですか。」と人の良さそうな受付の女性に聞いたことを覚えている。今日より幾分かマシな曇天だった。

駐輪スペースに赴いて、所有者がいることを示すため、札を外すだけでよかった。それだけのことなのに、どういう原理か足を運ぶことができないまま、自転車はいつの間にか回収されていた。中古として売り出されるのか、僕の知らない街でスクラップになっているのか。相棒、というほどの愛着はなかったけれど、知己が便りもよこさぬまま雪の向こうへ消え去ってしまったような厭な罪悪の感じと、対物に特有の寂しさが胸にずっと残っていた。残っている。

友人との実のある談話だろうが、職場での虚を埋める会話だろうが、僕は何故か頑なに嘘をついた。自転車を所有している振りをした。車を滅多に運転しない僕の、もはや自分の足でしか移動することができないという厳然たる事実を認めたくないがための見栄だったのか。思い出す。徒歩の彼に合わせるために、帰り道では移動手段というよりも豪勢な台車のように使っていた光景が、記憶の層の手前から2番目にある。

・・・

収入源をようやく取り戻した僕は、吝嗇に振れていた生活を少しだけ元に戻すため、どうしようかと考えた。
ひとつ、1000円カット(実際には1300円)をやめること。
ふたつ、昼食に食パン以外を食べること。
みっつ、自転車を買うこと。

熟考の末、近くの中古品専門店に足を運び、紫とピンクの中間くらいの色をした小さなマウンテンバイクを買った。カゴが無い自転車は初めてだったが、そうせざるを得ない前傾の姿勢と「マウンテン」を冠する所以の地面を掴んでいるという直感、にやや反する踏み込みの軽さに不思議な昂揚があった。またどこにでも行けるような気がしている。

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