甲子園開催中止に思うこと

どうもすいません、ねくろむです。

真面目な話をしますが挨拶オマージュだけは続けます、意味はありません。

前回の挨拶はポケモンの考察、最近はSCP解説動画をとうこうしている、さおうさんという方の挨拶でした。


さて昨日、夏の甲子園および地方大会の中止が発表されました。

戦後初の出来事だそうです。今回はそれについて長めに話します。

自分語りになってしまいますが、僕も小学生の頃から野球をやっていました。当時の夢はプロ野球選手、しかし目標は甲子園でした。

なぜそうだったか、それはそれに対する明確さです。

甲子園というのは「高校生になって大会で勝ち進み県の代表になることで出場できる」という明確な道筋があります。

それに対しプロ野球というのは当時どうなったらなれるのかよくわかりませんでした。強いて言えば野球が上手くなってスカウトされるとかそんな感じの漠然としたものでした。

おそらくこの考えを持つ球児は多いはずです。もしくはプロを目指すために甲子園を目指す、のような考え。つまり球児の誰しもが目指す1つのゴールみたいなもの。

現役の高校球児、特に3年生はこれに執着します。だって今年が終われば二度と出場するチャンスは訪れませんもの。

それが急になくなったんです、喪失感は誰も共感できないほどに大きいでしょう。これまでの人生の大半を捧げたものが一瞬にして消えるんです。


感情的なことは一旦終わりにして真面目なこれからについて考えます。以下、不快感を感じる表現が用いられる場合があります。ご了承ください。

まず高等学校野球連盟(高野連)の発表した中止理由は会見や報道によると、①コロナ拡大防止のため、②学業優先のため、大まかに言ってこの2つです。

時期をずらして開催すればいいじゃないか、という意見もあります。しかしそれは難しいでしょう。

それはなぜか、②です。

学業優先、感情を抜きにした場合の世間一般の考えでしょう。たしかに、このご時世で学業の再開も遅れ、これまでとは全く違う形態で行われています。そんな状態でしかも3年生には就活ないし大学受験が迫っています。無理やりスケジュールを空け大会を決行するのには時間的に無理があるでしょう。

さらにいうと、ぶっちゃけ甲子園に感情や精神以外での意味はほとんどありません。ここ数年、高校生がプロの世界に行く、ドラフト会議で指名される人数は約35人前後です。高校生で野球をやっている人の何%なのか、考えればわかると思います。野球がなければ職業を得ることができない、という人がいないとは限りませんが。ならば学業を優先させるのは至極当然とも言えるでしょう。


間違えないでいただきたいのは、仮にも僕もかつては甲子園を目指していた人間です。甲子園を目指すこと、野球から得たもの、成長した点、野球や周りの人たちへの感謝すべてを忘れた訳ではないということです。

本来なら僕だって声を大にして「中止にしないでくれ」と叫びたいです。

みんなでコロナに勝とう、そのためには我慢も必要だ

なんて言葉はクソくらえと思っています。その我慢のせいで絶対に取り戻せないものを失った人も多いのも知っています。

けどなんの力もないただの一般人である僕らは諦めるしかないんです。悔しいですけど。

だから僕には代替案も思いつかないし、誰かを励ます言葉も思い浮かびません。まだこれからの未来があるじゃないかなんて言葉も綺麗事にすぎません。

なのでこれも自分の意見をぶちまけただけの状態のまま終わろうと思います。ひどい文章だったとは思いますが最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。この投稿に関する意見は全て返答するつもりですので直接コメントもしくはツイッターのDMにて連絡をいただけると幸いです。

毎年甲子園の試合をテレビで観戦してガチ泣きするタイプのねくろむでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?