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自己分析 vol.14 保身と自己分析と他者分析と本質

今回はサブタイトルが長い笑

保身、は私の特大長所であり特大短所。

褒めることって常に良いと思ってないだろうか。私はそうだったし何なら保身だった。

心がこもっていない褒め、は何故だか伝わるし、保身感がありありと出ているのもいけすかないポイント。敏感な人ならそのピーマンのような中身が伴わない褒め方にすぐ勘付く。

一方社会では何かあった時、ネガティブなことばかり口にする人よりヨイショが上手い保身派の方が何かと有利なことも。

人間関係、なら褒めがいつも良いわけではない。何なら過不足なく刺された方が嬉しいMっ気の人もいる。
例えば自己肯定感低めの人、根本が低いから、表面の褒めでは逆効果なこともあり(頭が良い場合観察力や勘はいいので、表面的な事を見抜き逆撫でみたいな場合も。表面お世辞で自己肯定感が解決するならとっくに解決してるわけで、自己肯定感の闇がより深いケースも多々)良し悪しにかかわらず本質をつく方が喜ばれやすいと思った。

他方、いつも褒められていたい、尊敬されたい人もいる。

保身している人を見てイラついた経験はないだろうか。私はある。
やはり頭がちょっと働く人だからこそその作り込み方がまた狡い感じがしてしまう。

保身感のある文章、保身が潜んだ発言、種々感じ取る。

何だかんだ日本ではまだまだ保身有利なんだと思う。

頭が良い、私が天才だと感じる人が働きたくないと言いがちで、なぜだろうと思っていた。
私はそうは感じていないから予想の範囲だけど私の考えは以下。

要は働くとチームな以上、持ちつ持たれつだから迷惑もかけあう。
悪口の応酬も仕方がないというか、
全体俯瞰視点が得意な頭のキレを持つ人なら異なる価値観の集合体が一緒に何がやる以上完璧に思い通りにならなくて不満が出るのは不可避では、ということ。
逆に完璧にニーズ満たしていたらそれも怖い。

大学1年でディストピア文学を扱ったが完璧ニーズの充足が欲を掻いて破滅を招く話があった気する。(レイブラッドベリーのthe veldt かな?)18歳の私には難しかった。

となるとストレスの主因である人間関係を悪くする陰口諸々が不可避でしょうもなく感じるのではないかというもの。

人と一緒に何かやる以上迷惑かけあうのはほぼ不可避なのにブーブー言って気分悪くなるのが非合理的なのかなと。
考えすぎかもだけどね。。

この話の要旨は勤労意欲の話でなく、自己分析は他者分析に繋がること。
人のこと言えないという指摘は古今東西だが、何なら私はジャンジャン(心の中では特に)していいと思う。

人のこと言えないという指摘を見越した保険だらけの文章はやはり目につく。とはいえ、その切り返しが存在する以上、指摘にリスクは伴う。

その保身より、人の振り見て我が振り直せの価値の方が断然上だと感じてしまう。


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