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【小説】淡くて苦いピンク【第16話】

16、麻布十番


「へぇ~、すごい。こんなところあるんだ。港区って感じ……」
 
 誕生日の時の写真を見た咲桜が会いたいと言うので、吉祥寺で待ち合わせた。飲み会の時に撮った写真を見せると、咲桜はそれらを眩しく眺めた。さくらはまたふつふつと沸き上がる優越感に満足する。
 
「SNSに最近あげてる写真も、なんかみんなキラキラしてるよね。楽しそう」
 
 誕生日会から一か月くらい経ったが、さくらは毎週末のように飲み会に参加してはSNSに写真をあげている。映えるパーティー会場は、港区のレストランのこともあれば、誰かの家のこともあるし、会員制のバーだったりする。何度も参加するうちに顔見知りもできたが、だいたい毎回新しい参加者が入れ替わり立ち代わりという感じだ。でも、誰もそんなことは気に留めていない。
 
「楽しいよ。東京の夜って、無限に遊べるんだなって」
 
 ふふっ。さくらは口角をあげて得意げに笑う。悪い遊びを知ってしまった子どものように。
 
「みんなお金持ちなの?」
「女の子はお金出さないし、むしろ稼げるかも」
 
 さくらは足を組み直して、頬杖をつく。写真に夢中になっている咲桜を満足げに見つめる。わたしのキラキラした日常を、思う存分見てくれればいい。会社の優等生にはこんなことできないでしょう。

「……それで、サトルさんとはそれ以上の進展はないってことね」
「あぁ、まあ……」

 咲桜がふと急所をついてきたので、思わず不快感を露わにした。せっかく良い気分に浸っていたのに、ぶち壊しだ。咲桜も、言ってやったという顔をしているように見える。ちっ。既婚者の余裕をかまされているようで余計に気に障る。

 さくらは、飲み会に行くとサトルの家に帰るのがルーティンになっていた。鍵も渡してくれているので、はたから見たら半同棲みたいな感じだろう。だが、そうゆう関係になったことは一度もない。いつも、サトルは夜遅くまで仕事をして、朝はさくらより早く出勤してしまう。正直、サトルの気持ちが全然分からないし、どこか埋められない寂しさと不安が付きまとう。

「でもそれが逆に本気ってことかもしれないし。さっさと手出して捨てられるよいは良いじゃん」

 咲桜が本気でそう思っていないことは明らかだ。二人の間の空気にピリっと亀裂が走る。

「まあね?忙しいだけだと思うよ。やっぱ外資のエリートって大変なんだなって」

 さくらは火に油を注ぐように、つまらないマウントを取ろうとする。

 なんなら、一回限りの夜遊びで終わった方がさくらには有難かったのかもしれない。いつまでも希望を握り続け、だらだらと依存してしまう。でも、そんな気持ちは意地でも他人には見せない。サトルの女、というこの足場から離れたくない。

「さくら、なんか変わったよね」
「そうかな?まあ、付き合う人のレベルが変わったかもね」
「そう……。夜遊びはほどほどにね。あのさ、結婚式、九月の連休にやることになったんだけど来てくれる?あと、スピーチ頼もうと思ってたんだけど……」
「もちろん、任せてよ」
「そう……?ありがとう、じゃあよろしくね。それだけ会って伝えたくて。詳細はまた後で連絡するから」

 咲桜は、この空気から早く逃げたいというようにだんだん早口になる。

「あと……これ、誕生日プレゼントにと思って持って来たんだけど……」

 おそるおそる差し出されたピンクの箱には、丁寧に白いリボンが巻かれている。中身は、SNSで“婚活リップ”と呼ばれて人気になった、有名ブランドのリップグロスだった。咲桜らしい、センスの良いプレゼントだった。

 会は早々にお開きになって、二人は駅へと向かった。咲桜は若干不安だという表情を最後まで残して、駅のホームの階段を昇っていった。
五月の、初夏の気温が体温をじりじりと上げる。駅のホームには薄着の人が増え、スーツのサラリーマンは少し暑そうにひらひらと首元を仰いでいる。

 さくらは、じっとりと首にまとわりつく髪を、うっとうしそうに散らす。この前かけたばかりのパーマを整えるように、ざっくりと髪を手櫛でとかす。少し伸びた髪が、学生ぶりにかけたパーマが、まだ少し扱いにくい。

 あぁ~、気分が悪い。自分がおめでたいからって、他人の関係にまで口出ししないでくれ。偉そうに。

 お酒でも飲んでパーッとしよう。さくらはSNSで、『飲みたい気分だな~』と投稿する。こうすれば、誰かしらどこかで飲んでる人が反応してくれて、混ぜてくれるのを知っている。ほら、もう返事が来た。この子たちは、麻布十番で昼から飲んでるらしい。ふっ、楽しそうだ。
 さくらは、駅のトイレで化粧を直して、麻布十番に向かった。

 今日の会場は、住所も電話番号も非公開の紹介制のバー。簡単には辿り着けないその場所は、港区の大人たちの選民意識をくすぐる。

 電話で案内されたとおりに道を進むと、黒い二階建ての建物が見えてきた。地下への階段を降りると、重厚でこじんまりとした扉があり、横に門番のような人が立っている。今日の主催者の名前を告げると、簡単に扉を開けてくれた。

 中に入れば、そこは別世界。薄暗い店内には洒落たBGMが流れ、漆黒の壁に囲まれた空間の中央には赤いビリヤード台が浮かび上がる。カウンター席と、後ろの棚一面に並べられたお酒のボトル、天井からぶらさがるワイングラスが、照明に当たってキラキラする。

 わぁ、素敵。この空間だけですでに惚れてしまいそうだ。

「あーさくら来た!こっちこっち」

 手招きしている小柄な女性のほうに向かう。ビリヤード台に寄りかかりながら、お酒を片手に談笑しているグループに近寄っていく。

「この子はさくら!飲みたいって言ってたから呼んでみた」

 紹介されたので笑顔で軽く会釈をする。手前に立っていた男性が「あー、サトルの……」と言いかけて気まずそうに口を閉じた。
 さくらは何も聞こえなかったという素振りでお酒を取りに行く。さくらとサトルの関係はなぜか広く知れ渡っている。変に男性からちょっかいを出されないところはとても便利だ。どんな関係だと思われているのかは知らないが……。

「あら、さくらちゃん」

 カウンター席でお酒を注文していると、見覚えのある顔に声をかけられた。すらっと伸びた手足、ショートカットに大きな黒い瞳は、薄暗い店内の中でもひと際美しい。サキだ。知らない男性の隣に座っていたが、椅子から降りてこちらに近寄ってきた。細いヒールがコツコツと床に当たる音が響く。

「一瞬誰だか分からなかったわよ。パーマかけたのね」

 そう言うとサキは、さくらの髪の毛の毛先を持ってふわふわと弄んだ。サキは、指先からも良い匂いがする気がする。

「ふふ、可愛い。あなた、本当に化粧で化けたわね。女の子って変わる時は本当に変わるわ……」
「さっき友達にも変わったねって言われました」
「まあそれは良い意味じゃないのかもしれないけど……。今日はサトルと一緒じゃないのね」

 みんな、さくらを見るとサトルサトルと言う。まるで保護者がいないと心配される子どもみたいじゃないか。それとも、自分は所詮サトルのおまけみたいな存在なんだろうか。

「じゃ、サトルにもみんなにもよろしく」

 さくらの前にお酒が置かれると、サキはカウンター席に戻っていった。

 この、サキと対面するといつも感じる悔しさは何なんだろう。サトルサトルと言われて嬉しくないのはなぜだろう……。そんなもやもやとした気分も、お酒に紛れていつのまにか忘れてしまった。

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