1月6日:日記に縛られてる

なにかnoteに書き出せばタイトルの最初に「日記」をつけてしまう。過去の毎日投稿に縛られてるのか、辞めてしまった毎日更新日記の罪悪感なのか、日記として残そうとしていつも失敗する。なんともない日に何となく寝る区切りとして、なんとなくで書くnoteを生み出したい。だから、生み出すことにした。

今日は本当に何も無いんだ。
昼過ぎに起きて、バイトをしただけ。

1年を記念してnoteを読み返して、その時の気持ちを思い出せたことがとても嬉しくて、毎日はきっと無理でも定期的にその今の気持ちを更新して残していければ楽しいと思った。

noteを始めた頃は受験の不安感でボロボロになりそうだった。そこから受験に成功して、大学生活が始まった。上手く順風満帆のスタートように思えた大学生活も心の中ではしんどくて、たまーにnoteに戻ってきたりした。でも、いつでも、渦中には恋愛関係で悩まされてる。

その大きなひとつが無くなった。
胸を張って言える。未練もない。終わった。
諦めを付けてから、会った。その時には僕の好きだったあの子じゃ無くなってるような気がした。あのころの好きだった君は死んでしまったのかもしれない。
君はマッチングアプリを初めて、遂には人の男になった。僕が苦悩に苦戦に苦しみもがいて諦めた道の果てに立っていた男は、有料のマッチングアプリに登録するような男が立っていた。なにか勘違いをしていたようだった。僕の希望的観測では、お酒の力を使うような男じゃなくて、どうしようもない面白くない男でもなんでもなくて、その子のことが一途に好いていて、段々と段階を踏んで、ちゃんと付き合うようなものを想像していた。それならば、僕が諦めた道の先に彼がいる気がして、誰だかわからない僕が彼氏を認めることができるような気がする。でも、現実は非情だ。事実はマッチングアプリで知り合って水族館デートを経て付き合った。その男のことは知ったこっちゃない。でも、そんなので付き合えるのかと、失望してる、僕はあの子に。あの時間はなんだったの?と聞きたいわけじゃない。マッチングアプリなんて嫌いだ。それは元からだ。今は尚更嫌いだ。
そんな子じゃないって言いたい。体調を崩した僕の暇つぶしの相手になってくれて、席は隣に座ってくれてて、話を聞いてくれて笑ってくれてた。きっと今でもその子の本質は変わらない。それでもなにか変わってしまった。

でも、最近分かってきた。
変わってない僕の方がおかしくて、長年の付き合いを一途な片思いとカッコつけて育ててしまった僕がずっとおかしい。大学生にもなれば、居酒屋でバイトでもして、お酒で人様に迷惑かける失敗をしたり、彼氏を作るために駆ける。それを受け入れられない僕が成長してない。それが悪い。それともなにか何度も作り出した勇気を使って関係値を前進させれば良かったのだろうか。そうすれば好きなころのまんまでいてくれたのだろうか。一途な片思いにかこつけて、悲劇に染まって、恐れていて、最後には諦めた。そのストーリーの方が美しいプロットになったのかもしれない。全てにかこつけて、カッコつけてそうしてしまったのかもしれない。

ちょっと前までは、「もう一度好きになってしまいそうで、会いたくない」だったが、今は「変わってしまった君を見たくない」という意味で会いたくない。君は段々と僕から見える理解と許容の端っこまで到達してて、今はもうそこから少し先の崖に落ちて、僕からは見えない奥深くで生きているのかもしれない。

頭が痛い。

ここに来てちゃんと言語化出来た自分が恐ろしい。

未練とかじゃなくて、怨念になりそう。
二度と会いたくない。消えて欲しい。
こんなこと言いたくない。思いたくもない。
でも、最初から最後まで独りよがりの話だから、どうか許して欲しい。勝手に好いて諦めて、こんなことを言っている僕だ。笑えてくるね。

変わってしまったみんなに反吐を吐いて。
昔好きだった子は、インスタの写真に中指を立てるようになった。昔好きだった子は趣味の変わった人と付き合ってる。そんな変わったみんなに反吐を吐いてる。
今思い返せば好きだったけど諦めた人全部、関係を絶ってる。これまでと同じように連絡することも無いし、これまでと同じように返信が帰ってくることも無い。これは僕から関係を絶っただけでは、成り立たない。相手からも恨むなり、マイナスの感情が付随してるからこそ、成り立つ。全部そうだ。沢山考えて、そのうえで行動したはずなのに。見事だと思う。
真に恨むべき、反吐を吐き捨てるべきなのはなにも変われてない自分。変わりたいって最近は強く願う。もとより男女の友情が成立することを念頭に人と関われば良かった。そうすれば今みたいに関係を断絶する必要はなかった。損得勘定を抜きで人と関われれば良かった。この人は面白くないから、友達としては必要ない。女の子であることに意味があるものだと捉えて、見せかけの友情を育んだ。そう今思ったところでなにも変わらないのがこの先だと思う。僕は何もかも遅すぎる。それを繰り返して、取り返しのつかない分まで差が産まれた。このままでも仲良くなれる友達はいる。でも、友達を失うのはつらい。でも、つらい想いをしながら我慢して友情を続けるのはつらい。中途半端な僕だからこそ、関係の断絶を選んだ。

カッコつけすぎた。
人間生きるのは難しい。

生きる芯を自分に打ち立てて、それに沿って行動した。その芯に疑う余地は、ない。損得勘定は良くない。実直にそのままの自分で生きることにした。そのためには思ってもないことを言う必要もあるのかもしれない。難しいよ。


お歌、

お歌にして消化しないと吐き出しちゃう。
はらわたの中にある、ヘドロを今のうちに出しておかないと。

あのころの君は死んで
あのころの君はいなくなって
あのころの君は今は歌になった
そんな君の歌が僕の中を巡って生きて

怖いのは変わってく君と
何も変わらない僕
日常の小さな機微の快感と
絶え間ない日々の苦痛を

悲しみの後始末は君に任せて
救いがないから君を神にした
夏が死ぬころに
懐かしいところに