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休日部活動地域移行

 国から令和7年度までは、学校の休日部活動を地域に移行する集中期間という方針が出ていました。現在はどこも状況が厳しいことから、少し緩和されて各地域の実情に合わせて推進していくこととしています。
 みなさんはどんな部活をされていましたか?私は中高と水泳部でした。が、高校時は幽霊部員。なぜ水泳かと言えば、それ以外のスポーツはからっきしダメだったからです。そして、水泳もさほど速くありませんでしたし、そもそもスポーツが嫌いでした。「体を動かすことが楽しい。」とか「気持ちがいい。」とかは私の計り知れない領域の世界です。当時の中学校に軽音楽部とかあったら絶対に入っていたと思います。美術部には入りませんでした。絵を描くのは好きでしたが本気では無かったのですね。基本的には、よっぽど楽しみなことが無ければさっさと家に帰って、ゴロゴロしてTVを見ていたい生徒でした。今の根羽学園の生徒みたいに一生懸命部活に取り組む生徒たちの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです。「そんなに嫌なら最初から入らなければいいでしょ。」思いますよね。でも、当時は任意の活動といわれながら、実質はどこかの部活に加入しなければ成らない事実上の強制参加活動でした。まあ、同調圧力ですね。ひどい時は練習を休んだだけで、同級生や、上級生から何かしらの制裁を受けることもありました。今思うと変な時代ですね。
 話はそれますが、中学生男子は、全員丸坊主でした。若いみなさんは知らないことかもしれませんが、我々の中学生時代は全国的に荒れていました。中、高校生が先生に暴力を振るう「校内暴力」などという言葉が盛んに取り上げられ、学校、先生に反発を変形学生服や、髪型で表現する「ツッパリ」という人たちがいっぱいいました。興味のある人はググって見て下さい。そのぐらい(丸坊主強制)圧力をかけないと皆いうことを聞かなかったのでしょうか。謎です。
 話が逸れまくっていますが、我々の時代は部活も厳しくて、炎天下水も飲まずに活動する部活動があったり(水を飲むと疲労するという迷信から)、怒鳴る、叩くは当たり前の指導者がいたりしました(というか、授業でも)。水泳部は幸いそんな部活でな無かったのですが、好きでもないものを毎朝、毎晩、休日までやるのは苦痛そのものでした。部活に参加しないのはある種問題行動と捉えられていた節もあります。(これは定かではありません。)そんな思いまでして通ったのに、部活に養われたものが浮かびません。それもそうですよね、そもそも一生懸命じゃないのですから。一生懸命な人と、そうでない人が活動を一緒にすると上記のような軋轢が生まれて、「制裁」に繋がったのだと思います。一生懸命な人は全力で楽しめばいいですし、そうでない人はレクレーションレベルで。運動嫌いな人は美術部や音楽なんかの文化部を、それも一生懸命になれない人は一生懸命になれるものを探す部活でもいいかもしれませんね。そんなふうに、先輩の先生方、先人の教育委員の皆さんが少しづつ変えてきてくれました。今回は大きな変革ですが、より生徒に寄り添った変更にしなければいけないと思います。
 とはいえ、ここから本音ですが、当村のような小さい村には厳しいです。受け皿になる団体組織を立ち上げるところからやらなければならないですし、決定的なマンパワー不足から携わる人を増やさなければならない。さらに持続可能な活動にしなければならない。越えなければならないハードルが極めて高い。近隣の先進的な地域はすでに総合型のスポーツクラブを立ち上げているところもありますが、話を聞くと一筋縄ではいかなかったそうです。ああ、なんて頭の痛い。どなたか良い知恵を授けてください。

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