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クリムトに、黒い油

20年ほど前、あるアイドルのツアーで東京から静岡、浜松、と西へ向かい、豊田市で一日オフになったことがあります。次の公演は名古屋でしたが、名古屋は幼い頃から何度も行っていてとくに目新しいこともない。それならと、豊田で1日オフを過ごすことにしました。

 そして翌日。これといってあまり観光名所がなく(と書くと失礼ですね、汗)、唯一目をひいたのは美術館くらいでした。
 あまり距離は変わらなかったので、旅気分をと隣の駅(なんだかとても難しい呼び名の駅でした)から向かったのですが、後から考えてみればそれが間違いの元で、途中で道に迷い、また折りしも台風が近づいていました。誰かに聞こうにも店も何もない。人も歩いていない。まだスマホも無い時代。雨はどんどん強くなり、やがて豪雨に。突風でボロ傘は壊れ、ずぶ濡れになりながら、なんでさほど行きたくもなかった美術館の為にこんな苦労を、と思った時に城が見えてきました。

偶然見たクリムト

 城、といっても小さな隅櫓ですが、しかし住宅地の中から突如どーん、と現れたインパクトはなかなかでした。そしてあの素晴らしい美術館。ぼくは豊田市美術館が国内でもかなりグレードの高い美術館だとは知らなかったのです。そして「オイゲニア・プリマフェージの肖像」。まったく下調べもせずに行ったので、僕はここにクリムトがあるとも知らずに向かっていたんです。これもスマホがなかった時代ならでは。今なら当然どんな所蔵があるのかくらい、サクッと、調べるでしょうから。そして、このオイゲニア〜を見てあることが氷解したんですよね。何が、と言われるとまた長くなるので省きますが(音楽上のこと)、ともかく大いに触発されたのです。

環境活動家の心ない行為

 僕は美術に不案内ですが、いつか直島で見たモネは衝撃を受けたし、軽井沢で見たポロックも凄かったし、結構、音楽で行き詰まった時に絵画からヒントをもらって助けられたということは多い気がします。かなり身勝手な解釈で見ているとは思うんですが、ああ、これって音楽で言うとこういうことか、とか。違うからこそ相対化して見やすいというか。過去に見たいくつかの名作は僕のものの見方や想像力の大いなる滋養となってくれました。あの日偶然に見たクリムトも。だから、これら環境活動家たちの行き過ぎた活動を苦々しく見ています。おい、この日にしか見れなかった人もいるんだぞ、と。

Copyright Letzte Generation Oesterreich/AP

 近年、ゴッホにトマトスープがかけられたり、モネにマッシュポテトが投げつけられたり、フェルメールにもスープがかけられたり。その他にもいくつか、同種の事件があると思います。そして今回はクリムトに黒い油がかけられたとのニュース。彼らには彼らなりの正義と主張があるのかもしれませんが、それは他の方法では表現できないのでしょうか?他人に迷惑をかけない形で。その日、そのタイミングでしかその絵画に出会うことができない人だっているからです、あの日の僕のように。絵画はこの世に一枚しかないですから、映画のようにダメならまた別日に別の映画館で見る、なんてことができない。一度きりのチャンスしかない。2010年のバーネット・ニューマン展などは(仕事が忙しく見逃してしまった)、今後、またいつやるか分からないし、無理してでも行っておけば良かったといまでも後悔しています。

 上の事件はウィーンのレオポルド美術館だそうですが、この日チェコから、あるいはハンガリーから、あるいは遠く日本から、この絵を見に来た人だっていたかもしれません。この活動家たちは都会の裕福な(そしてヒマな)若者に見える。彼らはいつでもこの美術館に来れるのかもしれませんが、その日その場所で、そのタイミングでしか、その絵画に出会えない人だっている。彼らにどんな立派な政治的主張があるのかは分かりませんが、なぜ美術館でクリムトに油をぶっかけることでしかその抗議を表現できないのでしょうか。主張したいことがあるのなら好きなだけ公道でデモすればいいじゃないか、と思うのです。

「ちゃんとガラスケースに収まっているから、美術品への実害はない」
と、彼ら活動家の弁。だが、いやいやそんな話じゃないんだよ、と、ちょっと説教してやりたくなったニュースでした。


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