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音楽はchatgptに奪われるか

Chatgptの出現で時代はAIへと急速に移行していて、その波は多くの職業に影響を及ぼしているが、音楽に関してはみな楽観的で、かつ堅固な意見を持っているように見える。音楽は感情の海に浮かぶ船で、機械には決してそれを渡ることはできないと過信しているようにも見える。

音楽ほど既にAI化が進んでいる分野はないのに

だが実際は、音楽ほど既にAI化(的な、ものも含め)が進んでいる分野は他にないのにと不思議に思う。近年のDAWソフトには必ず実装されている「アルペジエイター(自動メロディ生成)」は自動作曲の一種と捉えることもできますし、コード進行に関してもCubaseの「Chord Assistant」など、簡単にコード進行を生成できるものも既にいくらでもあります。他人の演奏を何小節かまとめてコピー&ペーストしてしまうサンプラーも、人間が「人力で、AI的に」データを処理しているともいえます。

つまり音楽に関していえば、「とうの昔から」既にAi(的なもの)が使われているのです。どこまで記号化が許されるか?という問題ではありますが、例えば5分ほどの動画データが200MBほど、画像が数MBほど、に対しMidiデータは1曲が100KBに満たないほど。TEXTデータと大差ありません。音楽は文字に次いで、記号化しやすい領域なのです。

機械による代替はとうの昔から存在していて、17世紀に生まれたオルゴールや19世紀に生まれた自動ピアノは、機械が自動演奏する先駆でした。また、RolandのMC-8やTR-808はじめ、シーケンサーやドラムマシンは電子音楽の発展に大きく寄与してきました。人は「機械演奏には心がない」というが、同時に「オルゴールの調べに心を動かされた」とは普通に言ったりします。オルゴールの中に小人がいてせっせと演奏している筈はなく、間違いなく機械で動いているのですが。
なかには、

「それは演奏に対してではなく、あくまで ”人の作りしメロディ” に対して心を動かされているのだ」

と強弁する人もいるかもしれません。だが、未知の(未聴の)、人の作ったメロディとAiのメロディをランダムに流したとして、それがどちらかを判別することができる人がいるのでしょうか?(おそらく誰もできないでしょう)

ちょうどMidiとシーケンス、DTMが一般化してきた90年代に、私自身、機械に仕事を奪われた経験があります。Macintoshが安価になった90年代中盤以降、ミュージシャンの演奏仕事が激減しました。予算のないレコーディングでは、5人のミュージシャンを雇うより、1人の打ち込み屋(Midi制作アレンジャー)を雇うだけで済むからです。笑い話のようですが、「私自身の奪われた、ギター演奏の仕事」の代替として、私自身がパソコンでカタカタとMidiデータを作成したことが、何度もあります(それならば、自分で弾いた方がどれだけ早いかと思いながら)。そして2023年現在では、もはやプロのミュージシャンが聞いても機械の演奏か人間の演奏か判別できないものがほとんどです。プロの現場では、

「あ〜、ドラムとベースは予算がないので、打ち込みで(機械で)」

という会話が何の違和感もなく日常的に交わされています。それも近年のことではなく、すでに80年代後半からそうです。

音楽はAIに仕事を奪われないどころか、その簒奪はとうの昔から始まっている。にも関わらず、ここ数ヶ月のchatgptやstable diffusionの出現で、突然騒ぎ出している人が多く見受けられるのを、私は不思議な気持ちで見ている。どころか、この期に及んでいまだ、まるで機械が作った音では人間は感動できない(或いは、してはいけない)、とヒステリックに反応している人までいたりして、この光景は私にはちょっと理解し難い。

繰り返しますが、我々は大昔から既に、機械が生成した音楽で、感情を突き動かされていて、その是非を問いかけられても、何故今さら?と不思議に思う。というお話でした。


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