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ひと駅ぶんの驚き

私は電車が好きだ。不特定多数の人間と肌身を寄せ合わざるを得ないことに関しては気持ち悪さしか感じないが、それ以外の電車の揺れ方、車窓からの眺め、何より『いろいろな人間を合法的に見れる』というのがスキだ。別に人間観察が趣味だと言いたいわけではないしそういうのはむしろ嫌いだが、唯一『おっ、人生~』って、落ち着いて世の中の人に目を向けられるのが週末、お笑いライブを観に田舎から都会へ向かう電車の中なのだ。電車の中が世の中の全てだなんて狭すぎる世界だが、今の私にはこれが限界である。

~1駅目~ 4席分使って睡眠をとるな
本当にやめてほしかった。電車に乗り込むとき、ヤケにどいつもこいつも避ける席があると思ったら。そういうことか。お兄さん、起きてくれ。頼む。カップルがお前を見て笑いをこらえきれなくなっている様を見続けるしかない私の気持ちも夢の中で考えてほしい。田舎の1駅はバカ長いんだぞいい加減にしろと、重厚なヒップホップをイヤホンから流しながら視線で念力を送ることぐらいしか為す術は無かった。
長い時間をかけて、ガタンゴトンという心地良いリズムとともに着実に都会へ向かって行き、乗せていく人々を確実に増やしていく。

目を疑った。オッサン、何が楽しくてその4席占領兄さんの隣にわざわざ座ろうというのか。ほとんど膝枕している状態でどこまで行くつもりだ。むさ苦しい男同士の膝枕を見せ付けられるこっちの身にもなってくれよ。数十分前まで頑張って笑いをこらえていたカップルも、私も、周りの人間ももう限界が来ていた。起きろや。マジで。車輌内の全員が同じ気持ちだっただろうと今なら胸を張って言える。
そんな緊迫した状況、というより情けなくて目も当てられないような状況を一時間近く耐え抜いた私たちの気持ちなど知る由もなく、何食わぬ顔で奴らは電車を降りていった。ハッとして飛び起きてすぐ降りたけど、お前絶対その駅で降りる予定じゃなかっただろ。


~2駅目~ 世間はわりと狭い
私の家の最寄り駅は始発で出る列車が多いため、人混み嫌いの電車好きにはありがたい話なのである。朝10:00くらいの車内でボーッと発車を待つ。ポツリポツリと人が乗ってくる中に、見た事のある美人が紛れ込んでいた。

お客さんだ。

私は週末だけドラッグストアでアルバイトをしている。夜のドラストのレジというのは大体学校、仕事帰りのお兄さんや、風呂上がり感満載のねーちゃん、ヤンキー家族、酒とタバコを求めるオッサンなど本当にろくでもない客ばかり来るため、人間観察が捗る。『趣味は人間観察です』とかいう奴が私は時間を守らない奴の次くらいに大嫌いなのだが、こんなにおもしろい客が来るなら人間観察せざるを得ないと思う。
そんなおもしろカスタマーが来る中、彼女は週末に颯爽と入店するのだ。サラサラとした漆黒の髪、色白の肌、小柄で線の細い体、クールな表情。私に無いものばかりだった。せいぜいあるのはサラサラじゃない漆黒の髪だけだ。そんな私には、彼女がきらきらとして見えた。どうにかして、何かちょっとでも世間話ができればいいなと会話の糸口を探り、表情を伺ってみたりしたが、もうそれはそれは早くレジを捌けオーラがムンムンであり、とてもじゃないが余計な話を持ちかける余裕はなかった。
彼女がカゴに入れた、私では買えないような化粧品を次々とレジに通してマニュアル通りの応対をするくらいしか、彼女と関わることは出来なかった。

間違いなく彼女だった。一緒に乗ってきた胡散臭そうなオッサンは上司だろうか。私は彼女の笑顔を初めて見た。可愛かった。そのオッサンに向ける笑顔を私にもぜひ向けて欲しかった。
いつも私はそうだ。他人の顔と名前だけはやたらよく覚えられる変な能力のせいで、『私だけが一方的に知っている』という非常に可哀想な状況に何度も唇を固く噛み締めた経験がある。
彼女は私の事など絶対に眼中には無い。そんな当たり前のことを頭の中で考えながら、チラチラと彼女に視線を向ける私はかなり気持ち悪かったと思う。
オッサンと彼女の目の前に子どもが乗り込んできた。それも結構やかましいタイプの。子ども好きそうには見えないな。

彼女が子供に向けた視線は、レジをやっている私に向ける視線と同じだった。

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