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わたしの偏った愛によるThe View UPSTAIRS感想文

誰かに見られてもいいけど誰かに見られるためではない観劇日記その8
The View UPSTAIRS -君が見た、あの日-
ネタバレあり

最近は観劇ペースがあまりにも上がりすぎてまっっっったくnoteに書くのが追いつかず昨年の7月分から溜め込んでいるというありさまです。なのでTwitterの観劇アカにその日のうちに熱い感想は綴るようにしましたとさ。

しかしこれだけは長々とつらつらと書いておきたい。TVU。

本来の予定だと2回観劇のはずが公演中止になったあれこれを全部TVUで穴埋めしたため結果的にわたしの同作品観劇回数第1位にのぼりつめました……そのくせ配信まで買ったりして。

どんなに好きな作品でもあんまり何度も繰り返して観ない人間だけど、TVUは本当に何度も観てよかったと思う。観れば観るたび発見があって見え方が変わった。何度も観たからこそ気づけたことをここに残しておこうと思います。


・1973年の固執と2022年の固執
2022年を生きるウェスがタイプスリップしたのは1973年。色々と史実も調べてみたが1973年はソドミー法が施行されており同性愛は実質犯罪と考えてもよい時代。2022年でもまだ深く残る同性愛者に対する偏見だが、1973年は同性愛者と周囲に知られること=社会的な死を意味していたのかもしれない。つまり1973年の固執というのはあまりにも強い同性愛の排除傾向だ。マイノリティを理解するとか理解できないとかそういうレベルの話ではなかったかと思う。では時代が進み、縛られるものはなくなったかと考えると2022年だからこその固執があった。承認欲求だ。SNSでいいねがほしい、自分の才能を認められたい、だとか。ウェスの口から出てくる承認欲求の数々。評価されることにだけ生きる価値を見出しているかのように見えた。評価されることや自分の店を出すことに異常なまでに執着していたのは洋服のデザインという絶対的評価(点数化されるわけではないから正確に言えば全然絶対的じゃないんだけど)を自分の存在価値そのものにあてがっていたからなのかな。きっと能力の評価だけを人間の評価と考えているのは今ウェスだけではないはず。なんだか現代病のように思う。かといってマイノリティの問題は解決されたわけではないが。
ウェスが承認欲求をたくさんぶちまけて、そして愛されたいと願った時、パトリックは「古ぼけた考えだな。君は過去からやってきたんじゃないか?」と言う。愛されたいという感情は1973年に生きるパトリックには持ち合わせていなかったのかもしれない。しかし家族に愛されることのなかったパトリックが愛されたいと思わなかったとは考えられない。小さい頃から家族との溝が大きくあった1973年のパトリックが抱える愛されたいと、自分の才能を存在価値を認められたい2022年のウェスが抱える愛されたいは別物だと思う。ウェスの「愛されたい」はパトリックにとっては知らないものでだからこそ古くさいと感じたのかもなあなんて考えた。


・デールに愛を注ぐ
デールという存在。これがわたしの中で1番印象的なことだった。アップステアーズラウンジに集うゲイの1人であるデール。彼は体を売ることを生業とするホームレスだ。おそらく彼の問題はそこではなく、怒りの沸点が低いことや暴力に頼るところだ。史実を記した書物の中にも精神疾患があったと思われるとの記述がある。セリフの中でも警官が「この間こいつを売春と公衆酩酊で逮捕したぞ」と言っている。いわゆる問題児だった。肩身の狭い世の中でマイノリティ同士肩を寄せ合い平穏を願うアップステアーズラウンジの人々にとっては、問題児は必要以上に厄介者だと思わざるを得ない。声を上げて世の中を変えようとする風潮ならば彼は先頭に立ち英雄になれたのかもしれない。ただ声を上げることもできずひっそりと暮らすことがマイノリティの正解とでも考えられてただろう時代。デールの行き場はなくなっていた。

しかし約2時間の作中で描かれるデールはそこまでひどい人物であるようには見えなかった。私の目には少しばかり不器用で少しばかりブレーキのかけ方が下手くそなだけにしか映らなかった。確かにその少しばかりの性格がアップステアーズラウンジの人々にとってはリスクであるのは分かるんだけど。それ以上に誰にも気づかれない伝わらないデールの優しさが丁寧に描かれていて胸が苦しくなった。勇気を持ってウェスやそりが合わないフレディに歩み寄っているのに気づいてもらえない。意図的に無視された方が心の傷は少なかったのかもしれないと思う程に。何度目の観劇からかデールに感情移入してからは何かと彼を目で追ってしまう。するとスポットを浴びていないシーンでもデールがずっと除け者として扱われていることを知ってしまった。配信でもデールが影で除け者として扱われているところがちゃんとこまめに映されていた。その度にわたしの心臓にナイフが刺さる。思い出しながら駅で文章を書いているだけで涙がこぼれそうになって危ない。実際に観劇中はあまりにもデールを目で追いすぎてひとりよく分からないタイミングで泣いていた自覚はある。慈悲深いリチャードやウィリーはまだ彼に理解があるもののバディを始めとした他の人たちからは冷たい扱いを受けている印象しかない。どうして彼はここまでして仲間からも冷遇されなければならないのか。どうして。作中で描かれる以上にきっと問題行動をしていることは予想できるがそれでもどうしてという気持ちばかり出てくる。デールの優しさには誰も気づいてくれないからただの問題児として終わってしまう。どうして。私だって声を上げたい。
「どうして気づいてくれないの」
「どうして見てくれないの。見てくれるだけでいいのに」
デールが最後に伝えたことだ。

同じく体を売ることを生業とするホームレスであるパトリックはラウンジで客を探してもみんなは見て見ぬふりしてくれるし、寝床として何度もラウンジをタダで貸してもらえている。
何が違うのか。
パトリックとデールの違いって何?
正直私は答えられない。
放火が起こるきっかけとなるデールとみんなの言い合いのシーン。
どうして彼を誰も見てくれないのか。パトリックとの違いは何か。
バディたちがデールに対してあれこれと答えを返すがどれも腑に落ちなかった。どれも理にかなった答えではなかったように思えた。それどころかバディの方が過激な言葉でデールを侮辱しているのにどうしてそれは許されてしまうのかと思った。悔しい。
そりの合わないフレディに自分から歩み寄ろうと大事なネックレスを渡したのに気づかれることなく通り過ぎる。本当に受け取ってもらえなくても「いやいいわ」と断られた方がどれだけ楽になれたか。惹かれ合ったウェスとパトリックのためにここで寝泊まりしていいよという話になったとき「デールも泊まるところないんじゃない?」と誰かに言ってもらえたら。実際貸してもらえなくてもひとつ言葉があればデールの心を救うことはできたのに。ウェスがパトリックに愛を教えてくれたようにわたしがデールに愛を与えることができたらなあなんてずっと思う。わたしがアップステアーズラウンジにタイムスリップしたら絶対にめいっぱいデールを愛するから!!!!
こんな具合に私はデールの過保護となったわけだが実は1番涙腺が壊れるのはデールが心からの笑顔を見せているときだ。傷だらけの彼が正の感情を見せる時嬉しくもあり切なくもある。東山さんのつくるデールがとても繊細で、デールの人柄や苦しみを表しながらもしなやかで本当に東山さんだからこそこんなにわたしはデールのことを好きになれたのだと思った。
デールにとってアップステアーズラウンジはやはり唯一の居場所であることは間違いないようでふとした時に見せる笑顔が余計にしんどい。そんな居場所を自らの手で奪わなければいけなくなるなんて。初見ではマイノリティに理解がないストレートの人間が犯した放火だと勝手に思い込んでいたのでこんな悲しい事実であったことに衝撃を受けた。しかもこれが史実だなんて。
事件があったニューオーリンズですらこの悲惨な事件を知らない人は多いそうだ。絶対に風化させてはいけない事実だ。日本初演してくれてありがとう。



本当は壮ちゃんとゆうたが~なんて話ばかりになると思ってたのにデールに心奪われすぎてそれどころじゃなくなってしまった。ゆうたはわたしの中ではあまりにも"天てれの裕太"のイメージが強すぎていまだに「え?あの裕太がもうこんなに成長している…?」と毎度思う。笑 しかしふたりがつくるウェスとパトリックはあまりにも綺麗だったことにはちがいない。こんなにも愛で溢れているのに儚いふたりだった。
すごーく関係のない話をするとウェスが右利きで驚いた。わざわざ右手でサインしてた。スマホだって左手で持って右手で触ってた。左利きフェチすぎてこういうの見つけるの好きなんですよね…ああ我ながら気持ち悪い。


本当なら今日は大阪での大千穐楽。完走まであと少しだったけどこればかりは仕方ない。
しかしながらその代わりにとリピート配信とディレクターズカット版配信をしてくれるカンパニーのみなさまありがとうございます😭
こんなにもこんっなにも素敵な作品なので少しでも多くの方に観てもらえますように。

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