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毛布にくるまれて(この冬わたしを支えてくれたもの)

「暖かくなって元気そうだね」
職場で、少しひさしぶりに会った先輩に言われた。わたしが異動する前、一緒に仕事をしていた先輩だ。この冬を過ごしたわたしを見てくれていた先輩だった。この冬———簡単に言えば、つらいことがあった。気を張って過ごした時間もあったし、逆に意図せず弛緩しすぎて自分のことを見失いそうになった時間もあった。
「寒いと身体もつらかったよね」
先輩の言葉はその時、言葉の持つ意味を越えてわたしに響いたのだった。

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一昨年の冬だっただろうか、寒がりのわたしを見かねて、知人が無印良品の「着る毛布」なるものを買ってくれた。
ふかふかと毛足の長いマイクロファイバー製のガウン。ロング丈で、身長169㎝、加えて腕長族もわたしでもすっぽり全身を覆ってくれる羽織だ。とても暖かいのだけれど、ゆったりした作りゆえ腕まくりしてもすぐ落ちてくるし、かがんだらもれなく床に着くしで、炊事や掃除など家事をする際には向いていない。そして、脱いだら脱いだで畳みにくくかさばる。こうした小さなストレスって、日常生活で使うものにおいて特に気になるものだ。そして、つまりは、暖かくても手が遠のくものと成り下がってしまっていたのだった。


わたしのはもっと長いタイプのもの。
むかしの商品だからか、公式サイトでは出てきませんでした。


けれどもこの冬は寒かった。全国的に、例年に増して。そして、雪は降れども電気代は上がる冬だった。
いつもの寝具では寒く、朝方に目が覚める。ふと、くだんの着る毛布をひっぱり出してくるまったのだった。
「あ、なんだか良いかもしれない」

着る毛布にくるまることを思いつく数日前、わたしはとある場所で不思議な体験をしていた。
初めて行く場所だった。知っているひとと会う用事だったけれど、わたしはやや緊張していた。少しの警戒心もあったかもしれない。
予定のそのひとと会い、会話のようなものをしているうちに、わたしの身体が小刻みに震え始めた。手先や足先といった末端がとくに。
相手はわたしの様子に気づき、「これを使ってみる?」と大きな編地のひざ掛けを渡してくれた。しろくてざっくりしたニットだった。
渡されたそれを肩からかぶるように羽織り、わたしは小さくなってできるだけ身をうずめた。猫がまるくなって眠るように。
「どう?」
穏やかに掛けてくれた声にまるでふさわしくなく、わたしの身体の震えは増していった。つよく、広範囲に震えが走る。
もっと身体を小さくしようとしてみる。できるだけ隠れられるように。そう、わたしは隠れたかったのだ。相手から、まわりから、誰もから、隠れたい。見られたくない。身を潜めたい。小さくなりたい。視界から逃げたい。ひかりを浴びたくない。
必至に小さくなっていると、やがて身体はゆるみ、血液がとぽとぽと音を立てるように全身の川を流れていった。震えは時間をかけて静かに止まり、いつの間にか言葉少なだったわたしに声が戻った。
「わたし隠れたかったんです」
そう、と相手は言った。
「ひざ掛けを渡されてくるまってみたら、あ、よかった、隠れられる、と思ったんです。気持ちの示すように身体を小さくしてみたら、でももっと震えてしまって、なんでだろうと思いました。隠れることができたのにおかしいなって。
でも、よく考えてみたら、隠れたいという気持ちってどこか緊張感のある感情です。警戒心もあるかもしれない。
ひざ掛けにくるまって、隠れたいという緊張感と、隠れられたという安心感が同時にやってきて、身体がバグってしまったんでしょうね。それでいったん震えが大きくなったのだと思う。わーっと相対する感情がやってきて、身体がそれを解放しようと反応して、それがたぶんうまくいっていまは落ち着いています」
「そう、良い気づきね」
おもてがあかるくて、電車の音が聞こえたのを憶えている。線路が近く、電車の音はずっと走っていたはずなのに。不思議だった。

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雪のちらつくほどの夜、着る毛布にくるまったわたしはすっかり安心して眠ったのだった。以来、暖かくなる少し前まで、すっかりそれを手放せなくなった。頭の先まですっぽりかぶって、全身をそれに隠してもらうと、あたりは暗くなって本当の夜が落ちて来る。わたしにだけ見える星が毛布の中でひかりを放っている。

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