【ネタバレ注意】シン・ウルトラマン感想

総評

全体として個人的には凄く良いと感じた映画でしたが,同時にこの感想はウルトラマン好きであるひいき目が多分にあって,万人が良いと思うわけではないんじゃないかと思いました.
でも実際のところシン・ウルトラマンの興行収入はすこぶる好調らしいので,私の感じた感想なんてその程度です.

リピアはなぜそんなに人間が好きになったのか?

シン・ウルトラマン全体を通してまず感じたのがリピア=シン・ウルトラマンの内面に関する描写が乏しいということです.その印象は一番最初のリピアが地球にやってくるシーンから始まっていました.
ここでリピアは神永新二(斎藤工)がリピア着陸の衝撃から小学生を身を挺して守った姿を観て,その自己犠牲の精神に興味を持ち,神永新二と同化しホモ・サピエンスのことを知ろうとします.この神永新二の行動が作品全体の根幹となるセリフ「そんなに人間が好きになったのか.ウルトラマン」に繋がっていきます.
しかし,肝心の神永新二が小学生を守り命を落とすシーンは秒数にして僅か数秒で,次に神永新二が現れる際には既にリピアが同化した後で,驚くほどあっさりこの場面は流れていきます.
この「命をかけて他人を助ける人間の姿に心打たれ,同化あるいはその者の姿を借りるウルトラマン」という構図はウルトラシリーズで幾度となく用いられてきたファーストコンタクトの形で,今作でもそれをオマージュする形になっています.
しかし歴代のそれらの構図のシーンと比べても今作のこの構図は「ウルトラマンが人類に興味を持つ」に至る流れとしては少し弱いと感じました.
神永新二はリピア襲来の衝撃に対して反射的に小学生を守っただけ(だけというのもアレですが)で,一緒に滑落しかねない仲間を助けるために自ら命綱を切った薩摩次郎(モロボシ・ダン=ウルトラセブンのコピー元)や,あえて命令違反を犯してスフィアに特攻を仕掛けたタイガ・ノゾム(ウルトラマンゼロと同化した人間)に比べると,「衝撃的な自己犠牲」とまでは行かない行動だと感じました.
(ただ,今作は全体的にリピア同化前の神永新二の描写が非常に乏しく「神永新二は特別な人間でなく,自己犠牲的行動も同じ人間から観れば特別に衝撃的な行動ではないが,リピアから観ればそれも十分衝撃的な行動だった」という意図があるのかもしれないです)
その後も外星人に振り回される日本の首脳やそんな日本にプレッシャーをかける諸外国,巨大浅見(長澤まさみ)を面白がって拡散する一般人など,あまりリピアが人間を好きになりそうにはない描写が続いていきます.しかし,リピアの人間に対する愛は増すばかりで,作品から読み取れる印象とはズレていっていると感じました.
最終的にリピアは神永新二と同じく「自己犠牲」を行い,ゾーフィはそんなリピアの姿勢に一定の理解を示し,リピアの希望を最大限かなえた状態で作品は幕を下ろします.
この時にゾーフィが放つセリフが原典ウルトラマンでもゾフィーが放つセリフ「そんなに人間が好きになったのか.ウルトラマン」です.
ゾーフィのこのセリフを聞いたとき,私はこのセリフに特別違和感は持ちませんでしたが,同時にそれは自分がウルトラシリーズ作品を幾つも観てきた=ウルトラマンとは人間を好きになるものという前提の印象があったからだと感じました.
そういう前提を外して,作品単体で判断した時,リピアがいかに人間を好きになっていくのかという過程は十分に描写されていないと感じました.
シン・ウルトラマンのみでリピアの心情を十分に描写するなら,例えば禍特隊とリピアの絆が深まっていく過程をより詳細に描写するとか,リピアが地球を守る姿を損得抜きで応援する一般民衆を描写するとか,そういうシーンがあってほしかったなと思いました.
ただ,ウルトラシリーズを一切観ていない人で今作を観た人に,リピアの精神に感銘を受けたという感想を言っていた人は何人も見かけたため,やっぱりこれは私の個人的な感想に過ぎません.
最後に,少し辛口な感想になりましたが,シン・ウルトラマンを貶める意図は一切なく,むしろ私はシン・ウルトラマンが凄く好きです.メフィラス(山本耕史)やゾーフィは歴代でもかなり好きな部類のキャラクターに入ると思います.いくつかシン・ゴジラとのつながりを思わせる描写が差し込まれていることもニヤリとさせてくれました.欲を言えば,シン・ウルトラセブンなどと続編も観てみたいです.


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