親権変更 25

10月25日

協議の場へ向かう当日の朝に息子と口論になりました。理由は勉強すると約束した時間にスマートフォンを触るなど私の目の届かないところ(フリースクールの時間や帰ってきてから)で約束事をやっていないことを注意したことによるささいなものでした。泣いて僕は死んだ方がいいなどと言いました。私は死んだほうがいいと言うことに対して「そうやって逃げるな」と厳しく叱りました。それはこれまでで子供に対し一番強く荒い口調でした。仲介に祖父が入り、その場を収めて話し合いには出席しませんが、道中心配と言うことで3人で向かうことになりました。高速で向かう車中、子供とは口を利きませんでした。
 
 13時半にセンターに到着し、Fさんが便宜を図ってくれました。子供と二人で別室にて待機しました。その間も特に話をせずに。まずは母親と子供が二人きりで15分面談することになりました。その後私と母親、再婚者、再婚者の父と面談というのです。私は

「子供がいません。子供のことなのに子供は別室のままなのですか?」

と訊ねると子供は別室のままですとFさんが答え、私はそれに従いました。こういう場合は子供を話し合いの中に入れないことがデフォルトなのか、それとも母親側の要望なのかはわかりませんでした。

3名が入室し、開口一番、再婚者は

「今日は何の話ですか?」「子供迎えに行かないと行けないんで30分程度で」

などと、スマートフォンを触りながら話しました。私はこういう風なありがちな接し方を事前に決めてきたんだなと冷静に思いました。私は子供が暴力があって泣いて帰れないというのに2か月も逃げ回ったことを非難しました。しかし、謝るどころか、終始、被害者を装いました。私が、

「子供は帰らないと言ってる以上は、今できることをやってあげたい。学校に行かせてやって欲しい」と頼むと母親は

「お願いする態度ではない」

などと言い放ちました。その時の私は、怒りが頂点でしたが、これまで苦慮して母親が親権を握っているせいで実現できない学校へ行かせるカードを引き出す為に触発せぬよう振舞いました。

先に行われた二人きりでの面談では子供がどう話すかは私にはわかりませんでした。常々私が厳しいのと今朝の口論、久しぶりの母親との再会で感情が高まり、帰ってもいいという判断も僅かではあるが、有り得るかもしれないと思いました。しかしながら、子供はこちらで生活して、学校へ行きたいという当初からの想いを母親に伝えたようでした。

母親は終始被害者顔、再婚者はふてぶてしく関心がない様子、唯一再婚者の父親だけは冷静でした。

親権は変更しない
子供の住所も変更しない

しかしFさんのフォローもあり中学校は『区域外就学』というカタチであるなら検討すると母親が言いまいした。

その他に、私は児童手当となるモノの存在を知っていました。子供がこちらにいるのに母親が受給している状態です。

「住所を変更しないと子供の為にこちらで受給できるモノもできなくなる」

と話すと母親は「それは今、ここで話すことではない」と言いました。私はまた逃げて不正受給を続けるのだろうと思いました。我が子が病院に掛かるのに保険証も渡さない人間です。

別れ際になると母親は涙ぐんでいました。その時の子供の様子を凝視していましたが、その態度は冷ややかなものでした。

私は別室でFさんから、弁護士さんを立てたほうが良いと勧められました。あの様子では今後も話し合いに応じることはないと。私も先ほどの学校へ行かせてやって欲しいと言った時のお願いする態度ではないと言い放ったこと、また最後の子供の冷ややかな様子が弁護士を立てることを私の中で決定付けました。

帰りにI駅で祖母に会いました。祖母は病気がちで障害を持っているのに子供を保護してくれたいた人です。その時の子供は軽いスキップのような感じで先ほどの母親の時とまるで異なっていました。帰りの車中、祖父が子供に対し、「おまえはお父さんと居たいのか?それとも行くところがないからこっちへ来たいのか」と訊ねると

「お父さんと居たい」

と答えました。また車中で今回二か月半ぶりに母親に会ったが、その間少しでも会いたくならなかったのかと問うと

「ならなかった」と答えました。

別れ際、お母さんが涙ぐんでいたことを話すと

「児童相談所に迎えにきた時も泣いていた。でも変わらなかった」

と感情もなく答えました。

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