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教育メモ④-2 先生が足りない理由
変化の激しい社会を担う子どもたちに必要な力は、基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、★★★自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などの「生きる力」であるとの理念に立脚している。この「生きる力」は、自己の人格を磨き、豊かな人生を送る上でも不可欠である。
以上、2008年学習指導要領より「生きる力」。
★★★の前後を見て下さい。「自ら」3連発の部分は「一人一人への併走」や「個別対応」につながります。「主体的な判断」は一人一人の決定ですから、そこに教師と他の生徒が付き合う必要が出てきます。
★★★の後は今まで通りの「集団生活に必要なスキル」です。しかし前文の影響を受け、この集団には「所属する人間全ての個性や特性を受け入れる寛容さ」を持つ必要が出てきます。
つまり「全員の主張と要求を活かしながら社会性を育てて集団を成立させろ」という無茶振りの始まりが「生きる力」だったと思うのです。
そしてこの破滅の呪文は、魔改造され教育目標であり続けています。
どうしてもやれっていうなら、一クラス20人の上限欲しい。(私立の特化型クラスの場合は15~10人が妥当かと)。
ちなみに、いま文科省が言うてる上限人数、35人です。
両輪とも〇だったタイヤが、片方がだんだん△になってくる。何とか無理して走らせる。「走れてるから大丈夫やろ」と上から積まれる業務。そりゃ破綻するわ。
教員不足、なり手不足現象は、業務の積載量の問題だと指摘されています。ていうか実際そうです。そのせいで24時間営業化しています。でもその割にどの業務から減らすのか迷走しています。なぜなら前提に無理があるからです。まずタイヤは両方〇じゃないと走らない。〇と△のタイヤなんて関西サイクルスポーツセンターにもありません。
教育委員会や文科省がいう「教師が足りない」「なり手不足」は嘘です。
足りないのは先生じゃない。
「〇と△のタイヤの車で、違法積載量にも逆らわない24時間体制で車を走らせる奴隷」です。
誰がやりたいねん。誰が目指すねん。
業務削減のためにも、まず良いトコどりの理想で飾りたてた「生きる力」を唱えるのを止めなければ、人材不足問題の解決は難しいのではないかと私は今思っています。
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