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紙ふぶきのように、流星

幼さゆえ、無邪気なくらいに空気が読めなかった。だからといってそれを理由にすることも、そもそも理由なんて存在してはいけないが、小学5年生で入団した小学校のミニバスケットボール少年団の中で、ひょんな言動からすぐにいじめの標的となってしまった。コーチや良心ある父兄がいくら注意しようとも、いじめっ子はもとより、その親も最後まで反省の色を見せなかった。さらに事態をややこしくさせたのは、いじめっ子は単身でなく複数人で、その中には兄弟が何組も含まれていること。その上、小学校を卒業してもそっくりそのまま同じ面子で中学のバスケ部にそのまま入らざるを得なかったこと。つまりは、いじめられている状態が最低でも4〜5年は続いていた。どんなに逃げたいと思っても、片田舎の狭いコミュニティ、狭い学区内には逃げ場がない。先輩・同級生・下級生それぞれに苦しめられる日々は、部活を引退するまで続いたのだった。

その中で、特に”当たり”の強い先輩がいた。それは普段のきつい言動や態度においてであったり、実際にわざと体をぶつけてくることもあった。なにより、先輩の一挙手一投足に常に振り回されていたし、先輩の機嫌に四六時中精神を支配され続けていた。その先輩がいなければ、もう少し心穏やかに部活ができていたはずとも思う。
それは学校生活においても同様で、休み時間に教室を移動する際、廊下の数メートル先に先輩の姿を見つけてしまった時にはいつも胃が痛くなった。上下関係は絶対で、すれ違う時には必ず挨拶しなければならない。たとえ、その挨拶が無視されるとしても、絶対に。

逃げ場がない日々の中で、唯一の救いは音楽だった。バスケの夜練がない金曜日のMステには毎週誰かしらロックバンドが出ていたし、齧り付くように見ていた連ドラの主題歌や、その合間に流れるCMソングは様々なミュージシャンを知るきっかけでもあった。また、部活仲間の家のテレビはCS放送が入るため、MVがひたすら流れる音楽チャンネルをずっと見続けていた。まだ自分の携帯電話すら持たせてもらえなかった当時、テレビ画面の下部分に小さく表示されたクレジットを必死に記憶し、それを頼りに学校や塾の合間に近所のTSUTAYAへ足繁く通う日々。長年務めていた放送委員会の活動であるお昼の放送で流す楽曲や、純粋に自分のウォークマンに入れたい曲を容量いっぱいになるまで選んだりもした。

「レミオロメン」というバンドを知ったのは、バスケを始めたのと同じ頃だった。
夜練が終わって帰宅した後に観ていたドラマ『1リットルの涙』での挿入歌であった『粉雪』でバンドの存在を知ったのを皮切りに、アクエリアスのCMタイアップにて『明日に架かる橋』を、偶然テレビで見かけた滑走路上での野外ライブの映像で『スタンドバイミー』を好きになり、必然とも言うようにそれらの楽曲が収録されているアルバム『HORIZON』へすぐに辿り着いた。
『HORIZON』は『粉雪』といったバンドの代表曲や前述のタイアップ曲、シングルの表題曲がいくつも収録されていることもあり、ベスト盤以外で初めて聴く人への入門編としてもおすすめできる一枚である。しかし、今改めて思うと入門うんぬんを差し引いても名盤であることは言うまでもない。特に心打たれたのはアルバム終盤3曲の『紙ふぶき』→『粉雪』→『流星』の流れである。ある意味、青春時代の記憶や感情のバイアスが掛かっていることは否めないけれど、この連続した3曲に、思わず天を仰ぎたくなるほどの切なさとどうしようもない焦燥感が詰まっている気がしている。

『紙ふぶき』を聴くたびに瞼の裏に蘇るのは、何度歩いたかわからない中学校の廊下の景色。貴重な「青春時代」という時間の中にいるのに、どうしようもないやるせなさや生きる意味を見出せない中、この曲の歌詞がいつも側にいてくれてどんなに心強かったことか。その『紙ふぶき』での冬の情景が、次曲の『粉雪』へと繋がることでその余韻や感情がさらに増幅されていく。
最大限まで増幅されたそれらが辿り着く終着点が、アルバムの最後を飾る楽曲『流星』。
ポロポロと鳴らされる質朴なエレキギターのイントロフレーズから始まり、歩くペースにも似たテンポで曲が進行し、徐々にエモーショナルに展開されていく。そして大サビで爆発的にかき鳴らされる音楽は思春期の感情そのものであるとも言えよう。だからこそ、これから大人になってあらゆることを忘れてしまっても、いつでも曲を再生している間だけでも思い出せるように、曲を聴きながら教室の景色や空気を自分の中に焼き付けたのかもしれない。そうやって誰にも内緒で制服のポケットの中にウォークマンをひっそりと忍ばせていた。
音楽室の窓からは遠くに雪を被った山々が見えていて、一刻も早くこの狭い場所から飛び出してしまいたかった。

音楽の授業で使っていた紙ファイルの裏に、好きなバンドの歌詞やそれらをモチーフにした簡素なイラストを描いていた。ある日、授業が終わって人もまばらになった教室を出ようとした時、次の授業のためにあの先輩が教室に入ってきた。瞬時にキュッと胃が痛くなる。なるべく目を合わせないように早く出ようといそいそと準備をしていると、ふと顔を上げたらそこには先輩の姿が。あ、やばい。どうしよう。
「いいじゃん、それ」
一瞬の出来事で、思わず拍子抜けしてしまった。先輩が指差して言ったのはあの紙ファイルの裏面のことだった。まさか「いいね」なんて言われるとは夢にも思わず、どうリアクションしていいのかわからない。挙動不審になりながらもぎこちなくお礼を伝えて、そそくさと教室を出た。先輩に褒められたのは、それが最初で最後だった。

卒業し、高校へ進学してからはバスケ部であった思い出は急速に記憶の彼方へ遠ざかっていった。その後、先輩はどうしているのかほとんど何も話を聞かなければ、自分から聞くこともない。ただ、前に少しだけ耳にした話では、当時先輩も先輩で色々と複雑な悩みを抱えていたらしい。だからといってそれが受けたいじめを許す理由には到底ならないけれども、今更だけど先輩にほんの少し同情し、「可哀想だな」と思った。それ以上のことは、もう何も思わない。

今では便利な世の中になって、iPhoneからいつでもどこでも音楽を聴けるようになった。気になるアーティストがいれば、検索欄から名前を調べてすぐに楽曲を聴ける。あれからずいぶんと大人になってしまって、いくつもの建前を持って振る舞うことが上手くなった。そんな自分に時折嫌気が差して、Spotifyの検索欄に「レミオロメン」の名前を打ち込む。再生ボタンをタップすると、あのエレキギターのイントロが聴こえてくる。記憶はどんなに色褪せても、曲を聴いている間だけは教室から見えた雲ひとつない青空が見えるような気がしている。


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