社会は混乱と秩序を求めている?
私のタイムラインにこの記事が入っていたので、拝読しました。
基本的には、この方のおっしゃっていることに賛成です。ADHDを抱える妻と、睡眠障害の子供を持つ私としても
私の息子が成人になり世の中に出ていく時、社会はどうなっているのか考えてみたら、きっと今よりは生きやすい世の中になっているんじゃないかと。
という意見には賛成です。それを前提に、思ったことを一つ。
人と違う事、信念を持つ事、極端に言えば例えそれが間違いであったとしても、そこに人が集まりお金が集まる。
これには二面性があるような気がします。いい意味で一つ違う信念を持つことは社会に発見と進歩をもたらすかもしれませんが、これが単なる「あおり」で間違いを言っているだけだったら、大変なことになる。要するにそれが単なるデマだったら、という話です。
私もちょくちょくTwitterのタイムラインを眺めるのですが、Twitterで正論を見つけることはある意味無理に近い、と思っています。デマに対しては素早くいい意味での突っ込みが入るのがTwitterのいいところではあるのですが、そのいい意味での突っ込みを見つけられなければ、簡単に「暗黒面」に行ってしまう。
言い換えればTwitterの中にわざと混乱(デマとか炎上とか)を求める人と秩序を求める人がいて、それが社会の縮図のようにうごめいているような気がするのです。そしてこれが発達障害がらみの話題でも時々起こっているように私には思えます。
だから、以前よりもより一層自分の立ち位置を明確にしないと、あっという間に混乱に陥るような気がします。「異見」の存在を認めること自体は重要ですが、あまりに「異見」に引っ張られると簡単に自分を見失ってしまいかねない。よく不安になる妻を見ていると、そう思います。
ただ、そこをなんとか乗り越えれば、いい意味での「異議と個性」の世界ができるのではないか。そしてその通りになるのではないか、と(あまり根拠なく)思っています。
だから、ADHDの妻の将来も、睡眠障害の子供の将来も、(あまり根拠なく)大丈夫じゃないかと思っています。
今の私たちは、乗り越えられる、と。
<追記>
この記事を書いた後で、この記事を読みました。
この記事にある通り、乗り越えるためのキーワードは「信頼」なのかもしれません。
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