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ネコと人間と首輪の話

これは前回の「ネコと人間と膿の話」でFIPの治療が注射から飲み薬に変わった頃のお話。下半身の麻痺は日に日に改善し、高いところによじ登ったり、そこから飛び降りたり、ネコは自由に動けることがうれしいようで、体力の続くかぎり遊びまわった。体が自由に動くようになるにつれてアクセスできる場所も広がり、家中のさまざまな物陰に入り込むようになり、少し目を離すといったいどこへ隠れているやらわからないということが多くなった。

薬をもらいに動物病院へ行った際にそんな話をしたら、先生に「鈴をつけたら?」と当たり前のことのように言われた。鈴……ああ! そのとき人間の頭の中にドラえもんの姿が浮かんだ。たしかに首に鈴がついている。えかきうたなら6月6日に現れる「UFO」の部分だ。

続いて浮かんできたのはサザエさんちのタマだ。タマの赤い首輪にも黄色い鈴がついていたはずだ。そういえば招き猫の置物の首にも鈴がついてなかっただろうか。

ネコの首輪にはたいてい鈴がついている……ただの飾りのように思っていたが、そうか、ネコは物陰に隠れる習性があるから、古くから首に鈴をつけてどこに居るかを把握できるようにしてきたのか。病院から戻ると、さっそくホームセンターまで首輪を買いに行った。

売り場には、種類はさほど多くはないが、ネコ用の首輪が並んでいた。どれにもたしかに鈴がついている。イヌを飼っていたので、イヌ用の首輪には触ったことがあったが、ネコ用の首輪ははじめてだ。革製で頑丈だったイヌ用に比べると貧弱なつくりのように感じるのは、イヌのようにリードをつけることを想定しなくてよいからだろう。それよりも、どこかに引っ掛けて首が締まることのほうが危険ということか、がっちりと固定されず、ループに通すだけのものが多い。

緑色のシンプルなものを選んだ。鈴の音色は少しこもった感じだったが、音色のよいものはベルトのデザインがいまいちだった。帰って、ネコの首に巻いてみる。売り場ではいちばん小さい首輪だったと思うが、それでもネコの首には長すぎて、ベルトを3分の2ほどカットして使うことになった。

ネコはやはり首に違和感を感じるのか、嫌がって床を転げ回っていたが、そのたびにチリンチリンと鈴が鳴るのが、どこか間抜けでおもしろかった。ネコは首輪をつけたまま食事をすませると、そのあとはもう気にならなくなったようだった。

鈴の効果は絶大だった。どんな狭い物陰に隠れていても、わずかに動くだけでチリンと鳴るので居場所がわかる。いよいよ上れるようになった階段も、一歩一歩一生懸命上っている姿が鈴の音だけで目に浮かんでくる。首のあたりも後ろ足を使ってかくことができるようになり、軽快に鈴の音を鳴らしている。

そんな感じでわりとお気に入りだった首輪だが、結果的には2週間ほどでつけるのをやめることにした。理由は、首輪をつけていると首のまわりの毛にクセがついてしまって見た目が美しくないこと。もうひとつは、彼がどこでなにをするかにできるだけ干渉したくないと思ったからだ。

ネコと人間は別の動物であるから、生きていくうえでの感覚が異なる。ネコにとって心地いいことが、人間にとっては不快だったり、人間の望むことが、ネコにとって苦痛だったりすることは多いはずだ。ネコと人間はわかり合うことはできないという前提に立つべきというのが、人間がそのとき考えたことだった。

ネコが人間の目を盗んで居心地のよい場所で過ごしたいと思うなら、できるだけ人間はかかわらないほうがいい。刃物だとか薬品だとか火の元だとか、危険なものだけはきちんと管理したら、あとはもうどこでも好きなことろへ。

というわけで、ネコはときどき姿をくらませたり、突然飛び出してきて人間にからみついてみたり、気ままに暮らしている。

とはいえ、この家から出て行くことは許されないという見えない首輪を、このネコはずっとつけていかないといけないのだけど。

ちなみに、はずした首輪はネコのおもちゃとなり、その後もときどきチリンチリンと音を鳴らしていた。今は姿を見かけないが、きっとまたかわいい音が聞こえてくることだろう。

お気持ちだけで十分だと思っていますが、サポートされたくないわけではありません。むしろされたいです。