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壊れそうな我が家のはなし(10)

天気が下り坂になると機嫌が悪くなる実父。
やがて私たち家族は、天気予報を見ては、実父に注意を払う度合いを決めるようになった。
低気圧が近づくと、父はどこかに行きたがる。
それは「墓」なのか「自分の家」なのか。
それはその時によってさまざまだった。
昼間、デイサービスから戻った後、うつらうつらする実父は、夜中になると目が覚めて、家の中をぐるぐると徘徊するのはいつものことだが、それに加えて、天気が悪いとどこかに行きたがる。

その日はうっかりしていた。

連日連夜の実父の徘徊に疲れた実母がうたた寝したすきに、実父が自転車で出て行ってしまった。
自転車のカギは、以前の行方不明時にいったんは片付けていたのだが、その時は表に出ていた。それに気づいて乗っていったのか。目が覚めたら、父と自転車が消えていたという。警察に電話をした後、外出先の私に電話がかかってきた。
台風が近づき、やや強めの風が吹く夕方のことだ。

2度目の警察への届け出をし、戻る道中、前回は自宅に続く小道を見つけられなかったらしいことを振り返り、注意深く周囲を見ながら帰ったが、実父の姿は見つけられなかった。
実母を残して、子どもと夫と手分けして自宅周辺をくまなく探したが、やはり同様で、時間だけが過ぎていく。そして、風は少しずつ強くなり、小さな雨も落ちてきた。こんな時にどこに行っているのか。

いったんは家に戻ってみると、実母が受話器を握りしめている。わかりました、ありがとうございましたと電話機に頭を下げている。電話を切った実母が「お父さん、いたらしい」というので、相手は警察かと思いきや。
「○○の守衛さんからの電話だったの。」
それは、地元に大きな工場を有する企業。
そこの工場の正門から自転車で中に入ろうとした父は、当然守衛に制止され、身元を確認されたそうだ。財布の中にあったメモから自宅の場所がわかり、電話がかかってきたわけだが。

その工場は同じ市内ながら、今の家から20kmほど離れた、実父の生まれ育った町にある。
父の帰りたい家は、生まれ育ったところだったのか。
生後15年、中学を出てから離れた町が「自分の家」のあるところで、その後、母と結婚し、構えた家がある土地は、50年住んでも自分の場所ではないのだ。愕然とした。

工場の守衛は自転車をそこで預かり、実父をタクシーに乗せ、送り届けてくれた。戻った父は、ポロシャツにつっかけ。汗だくでくたびれ果てた様子だったが、タクシーから降りて「よう!」と上機嫌だった。
届けを出した警察にも連絡すると、姿を確認すると言って自宅まで来てくれたが、台風が近づく中、無事でよかったと戻っていった。

翌日、台風が夜中に過ぎ去ったので、その工場まで菓子折りを持って出かけた。
守衛室に出向き、ご迷惑をおかけして、というと、あちらも、遠くから老人が自転車に乗ってきたことに大変驚いた様子だった。
実父が中学生のころまで周辺に住んでいたことを伝えると、周辺もかなり変わったろうにね、と感心していた。
夫が実父の自転車に乗って帰宅する役目になったのだが、実父の自転車をこいで帰宅するやいなや、「あの歳の人がこの距離をよく走ったよね」と汗だくで言った。

何時間かけて、そこの工場までたどり着いたのか、またルートもよくわからないが、サケの遡上のように生まれ育ったところへ戻りたかったのだとしたら、例えば、認知症になった転勤族はいったいどこに帰りたくなるのだろうか。
私の場合、学生時代に転居しながらも、生まれた土地に住んでいるから、そんなに苦労はないかもしれない。しかし、遠方に嫁いだ人は、地元を目指すのだろうか。

この日以降、父の乗った自転車は処分された。
自宅で徘徊を見守るのにも限界が近づいてきた。

(続く)

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