壊れそうな我が家のはなし(5)

私と夫、息子の3人で出かけていた、初秋の夕方のこと。南方の海には台風がいて、若干風が強いけれども、心地よい時間だった。
ふとした瞬間にスマホに何件かの着信があっていることに気づいて、履歴を開いたら、それはすべて短時間に、実母から発信されたものだった。何ごとかと思い、電話をしてみたら、実母が疲れ果てた声でこう言った。
「お父さんが帰ってこないの」
聞けば、実母がウトウトしていた15時ごろ、どうやら自転車で外出したようで、かれこれ3時間ほど戻らないという。

実父は、アルツハイマーの影響からか、歩くのが若干おぼつかなくなってきてはいたが、それでも、どこからかもらってきた変速機なしの銀色の自転車で自宅周辺をうろうろしていた。我が家は標高20メートルほどの場所にあり、周囲はなだらかな坂道に囲まれたところで、自転車で移動するにはそう苦にはならない。また、出ても短時間のことだったし、「免許取り消し」になった父が、ちょっと動くのにちょうどいいのが自転車で、家族も父が自転車に乗るのを止めなかった。帰ってこないことになるとはまったく思いもしなかったとは、アルツハイマーの人の家族としては、まったく浅はかである。
私たち3人は用事を切り上げて、慌てて帰宅した。

自宅では実母は不安そうな顔をして待っていた。
警察には既に連絡済み。電話に出た警察の人の指示により、父の写真と、服装を細かく書いたメモが用意されていた。写真は最近の物がなく、数年前の物しか見つからなかったという。母は、警察にこれらを持参して、行方不明の届けを出してきてほしいと私にいう。家族で周囲を探すことは悪くはないのだが、一人は必ず家にいるようにとのこと。実母を家で待たせるとしたら、父の生年月日をはじめとする詳細を話せるのが私しかいない。急いで警察に向かった。

電話の時点で、母があらかた父のことを話していたが、改めて調書を取られた。父の生年月日、住んでいたところ、立ち寄りそうなところなど。アルツハイマーの人は、過去住んでいたところに戻ることもあるという。過去の職場として、調理師をやっていた店があったところや講師を務めていた学校、魚市場なども伝えた。
最後に、署員の方から「今回のケースでは該当しないとは思いますが」と前置きされて、行方不明になった人が、自分の意志で家を出て、戻りたくないという意向の場合は、居場所を教えられないと言われた。DV夫から逃げるとか、借金を苦にして夜逃げするとかの場合は、こういうパターンなのだろう。行方不明の届けを出すことの重みを感じた。

1時間近く経って、警察署の外に出たら、南方の台風からの風は更に強くなっていた。雨が降っていないのが幸い。しかしどこに行ったんだろう、こけて怪我でもしていなければいいけれどと思いながら自宅に戻る車を走らせながらも、キョロキョロと周囲を見渡していた、ら。
逆車線をこちらに向かって走行してくる銀色の自転車。ぐしゃぐしゃの髪、血走った目。父だ。通り過ぎてUターンして、父と並走して、助手席側の窓を開け、叫ぶ。
お父さん、何してるの!
父はこちらを見て、おう、と応えて自転車を止めたので、こちらも車を少し先に止めて降りる。
何をしているのか再度尋ねると、家に帰るところだといって、進行方向を指さした。家は逆方向だ。いや、家は逆だよ、帰ろうよといっても、手は頑なに自転車のハンドルを握ったまま。父を捜索している夫に電話したら意外と近くにいたので、来てもらい、一緒に帰宅してもらった。私は一足先に800メートルほど先の家に戻り、母に伝え、警察にも連絡を入れた。

実父と夫が歩いて帰宅して、実母が実父に怒っているそのタイミングで、パトカーが来た。警察官がふたり降りてきたが、ひとりは、さっき調書を取るために話をした人。「お父さん、無事でよかったです」と実父に話しかけるのに対し、いやあ、たいしたことないですよと話し、更に「こんなおおごとにすることはあるか(=こんな大騒ぎにする必要はない)」と私たちにいう汗だくの実父を見て、こんな場でも体裁を保とうとすることに少し苛ついた。
実父本人の無事を確認し、書類を少し書いた後、今の顔写真を撮っておきたいと汗だく、ボロボロの実父の写真を撮り、ふたりの警察官は戻っていった。
大通りから一本、小さな道に入れば家に戻れる、その道の入り口を見つけ出せずに、周囲を自転車でずっと走り回っていたようだが、当然、本人も詳細を覚えてはいない。
風が心地いいとはいえ、夏が過ぎたばかりでまだ気温は高い。何時間も自転車で走り、汗だくの父は、風呂に入って、少し食事をとってから床に就いた。

認知症の人が行方不明になるニュースをよく耳目にする。それはきっとこんな些細なことがはじめの一歩で、家族の前から消えてしまうのだろう。

(続く)

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