見出し画像

介護日記#4 支援1から支援2にそして介護1に

現在介護5になった母は平成27年2月7日に認知症に詳しい脳神経外科クリニックを受診してレビー小体型認知症と診断され支援1と認定されたけれど生活はそれまで通り。
時々心配な事は起きたけれど命に関わる様な事は無く、物が何処に行ったかわからない程度だった。しかし次第に心配な出来事が起き始める。

ある暑い夏、支援1の介護認定を受けていた母はそれまでと変わらない日常を送っていた。私が普通に歩いて15分かからずに到着できる公民館へ、母の足だと30分以上かかってしまっていたかもしれない。いつものようにコーラスサークルの参加の為に1人で向かっていたそうだが40度近い気温も影響したのだろう。 レビー小体型認知症の特徴である歩行状態、ふらふらヒョコヒョコと歩いている母を心配して丁度下校指導をしていた全くの他人である中学校の先生が声をかけてくださりすぐ近くだけれど心配だからと公民館へ送り届けてくれた、帰りも公民館のかたに車で送ってもらったというではないか。この日関わりのあった皆様に暑いから危険、1人では動かない方がいいと忠告されたらしい。それからは自分でも不安だと感じたようで出歩かなくなった。しばらくして少し涼しくなったからといつも行っていたスーパーへ行ってみたらしいがキツくて途中で引き返したようだった。その後の認定調査で支援2となる。

そんなある日、母の頭が臭いような気がした。本人に聞くと、ちょっとお風呂が怖いし面倒くさい、との返事。頭を2週間程洗っていなかった模様。自宅では1人で入っているのだがそういえば衣類も同じものばかりかも。包括支援センターの担当ケアマネに相談し、お風呂も入れてもらえるデイサービスを探す事になった。はじめは行きたくなさそうだったが、日中私が仕事なので心配だからお願いと頼みこんで週2回朝9時から16時頃まで通ってもらう事となる。お風呂はデイサービスで毎回入れてもらっていたが、家でも入りたいという。私がTシャツ短パン姿になり手伝うという形で家でもお風呂に入っていた。

行き始めるとぶつぶつ愚痴を言うことはあっても、休まず行ってくれていた。ケアマネが探してくれたデイサービスは週に一回、ピアノの伴奏と一緒にコーラスを楽しむプログラムがある所で、音楽が大好きだった母は公民館のコーラスサークルに行けなくなった分、その日を楽しみにしながら通っていた。今更ながら、とても良い所を探してくれたと感謝。

デイサービスからの電話だった。「迎えに行ったのだが応答が無く、電話にも出られません。どうしましょうか?」私から何度か自宅に電話をしてみる。一回目、二回目、三回目、四回目、五回目、家に帰らないとだめかなぁ、と思った約一時間経過した頃やっと電話に出て、はいはーいと呑気な声で返答がある。デイサービスの迎えが来ることも忘れ電話も気づかず何をしていたのか話していても一向に解らなかった。居眠りしていたのかもしれないし、トイレに入っている時間が元々長いのでそうだったかも。でも転倒して動けなくなっているのかと仕事中ハラハラし私は落ち着かなかったので本当にほっとした。改めてデイサービスに連絡し、次回からまたいつものように利用させてもらう事をお願いした。次の回からは私が仕事へ行く前の朝7時頃に準備を手伝い、デイサービスの迎えが朝9時頃来ると毎日伝える事で無事休まず行けていた。

そんな事があってからの認定調査。みごとに介護1。

ここからは包括支援センターのケアマネではなく沢山ある一般の事業所から好みのタイプを探し、決めなくてはならない。幸いにも私には知識も情報も少なからずあったので、私も母も頼れる事業所が見つかった。元看護師のケアマネで同職出身の母は直ぐに打ち解けた。

介護1になったので利用回数も増やす事が可能となり今まで行っていたデイサービスに週5回通わせてもらう事になった。が、その後のデイサービスからの報告では迎えに行っても玄関までなかなか来ず車に乗り込むまでがかなり時間が掛かるなどの報告があっており、キーボックスを検討するかといったやり取りがあっていた。

そんなある日、朝いつものように起こそうと部屋へ行くとトイレの前で座り込んでいる母がいた。間に合わず汚してしまっていたし、何だか顔が浮腫んでいた。座り込んでいる母の身体をやっとの思いで起こし別の所から持って来た椅子に座らせる。顔だけではなく足も倍に浮腫んでいる。これは病院に行かなくてはならないと思い職場に連絡し休ませてもらう。もちろんデイサービスも休んでかかりつけ医に見てもらった。利尿剤を処方してもらい翌朝すぐに浮腫はとれていたが、その日から認知症の症状が強くなった。薬の過剰反応だったのだろう。レビー小体型認知症は薬の服用に凄く敏感に反応する事が解っている。私は仕事に行っても大丈夫だろうかと心配になったので、急遽仕事は休みをもらって2~3日様子をみてみる事にした。我が家の玄関には二段の段があり、登り降りしなくてはならない。人の支えがないと上がれなかった。歩くのもロボットが歩いているようだった。また幻視も酷かった。

改めて脳神経外科クリニックの医師に相談し、試しに初診時から服用しているアリセプトの量をもう1段階増やしてみる事になった。5mgから10mgに。結果は良好、活気が戻り足の動きも前ほど良くは無いがなんとか歩けている。しかし今までのようには出来ていない。職場の上司に相談し当面、母がデイサービスに行く時間までは家にいてデイサービスから帰る時間までに帰宅出来る状態に職務を変更してもらう事になった。もちろん仕事は続けたかったけれど母の介護で後悔はしたくなかった。もし自分が居ない自宅で転倒していたらきっと一生後悔すると思っていた。二人三脚のような生活が始まった。

母の元気な頃が懐かしい。

母が支援1から介護1になった頃の様子を記してみました。読んで頂きありがとうございます。少しでも介護に関わるかたのお役にたてたなら嬉しく思います。